(1935/西脇順三郎訳、創元推理文庫、1959.6.20)
手許にあるのは1976年2月20日発行の39版です。
1976年は自分が中学生の頃で
確かにそのころ読んだ記憶がありますから
新刊書店で買ってきて
すぐ読んだものだと思います。
そのころも
第一の殺人の動機には
あまり感心しなかった記憶がありますが
今回、読み直しても
その印象は変わりませんでした。
もっとも第一の殺人の動機や
第三の殺人の被害者のありようは
いわゆる大量死理論の
ひとつの証左となるかもしれません。
その意味では興味深いのですけど……
今回
ちょっと思いついたことがあって
読み直してみたんですが
第一の殺人の動機とかより
むしろ
それ以外の部分が面白いというか
興味深かったです。
それは
第一の殺人が起きた別荘の当主
(50歳過ぎの引退した俳優)が
彼にホの字の若い女性や
サタスウエイト氏とともに
ポワロを参謀に戴いて
素人探偵活動をするという設定。
トミー&タペンス・シリーズや
本書の少し前に発表された
『なぜエヴァンズに頼まなかったのか』(1934)の
若い素人探偵たちを連想させます。
素人探偵が当たるを幸い
捜査を勧めるという展開は
コージー・ミステリなどでも
お馴染みですけど
ミステリを読み始めたころならともかく
ある程度、読み慣れてくると
無駄が多いように思えてならない。
素人探偵が聞き込みをする相手が
キャラクターとして面白ければまだしも
(小説として面白ければ、といってもいい)
『三幕の悲劇』の場合は
いささか精彩を欠くようです。
長編にするために
無理に引き延ばしている観が
強く感じられたのですけど
クリスティーしては
そういう印象を与えるのは珍しい。
本作品と同年に発表された
『大空の死』(1935)も
同じように
素人探偵の活躍が中心になる感じで
つまらなかったという
読後感が残っています。
もっとも
その印象が妥当かどうか
読み直して確認してみたいと
思っているのですけど……
『大空の死』と違い
『三幕の悲劇』は
割と一般的な評価も
高いという感じがします。
でも、読み直すと
いろいろと無理筋が多いような気がして
(特に第二の殺人がなあ……)
一般的な評価の高さに
首をひねらざるを得ない感じ。
この頃のクリスティーって
いってみれば型通りに書いており
それがかえってクリスティーらしくなく
今ひとつの印象を与えてるっぽいですね。
探偵小説だとこういうことがよくある云々
現実は小説のようにはうまくいかない云々
といったような決まり文句が
クリスティーの小説で出てくるとは
思いもよりませんでした。
何となく魅力に乏しいのは
もしかしたら訳文の問題かも
しれませんけどね。
ポワロの名前は
もともと「エルキュウル・ポワロ」と
訳されていました。
上の写真で分かる通り
カバー袖にその痕跡が残っています。
ところが本文中には
「エルキュール・ポワロ」と
組み直した部分も散見され
そういう混在状態が
訳文の古臭さと相俟って
印象を悪くしているのかも
とか思ったり。
初めて読んだとき
これについて
どういう印象を持ったのかは
もう忘れてしまいましたけど。
これはちょっといいかも
と思ったのは
第三の殺人に関わる
ポワロの元に届いた
手紙をめぐる推理かな。
これはちょっと膝を打つ感じでした。
ポワロがカードの城を立てて
精神集中をするというのは
昔の映画のスチールなんかで
見たことがありますが
小説にもあったとは思いませんでした。
あと、
ポワロはすでに引退している
という設定は
『オリエント急行の殺人』(1934)にも
通ずるものがある感じでした。
ポワロが昔話をして
スタイルズ荘の時のことを振り返ったり
1回だけ失敗したことがあると
言ったりしている場面もありました。
そういうところに
ポワロの心境が垣間見えたりして
ちょっと興味深かったです。
最初に書いた
「ちょっと思いついたこと」
については
また、機会がありましたら
ということで。(^^ゞ


