『木乃伊の穴』

(1928/土屋光司訳、日本公論社、1940.8.25)

 

原題は

The Prisoner in the Opal

といいまして

1937(昭和12)年に

原題を直訳した

『オパールの囚人』という邦題で

刊行されています。

 

その後、

『木乃伊[ミイラ]の穴』と

改題・再刊されたものが

書影に掲げた本です。

 

 

パリ警視庁警部

アノー・シリーズの第3弾で

『薔薇荘にて』(1910)以来

久々にリカードが

ワトスン役を務めます。

 

備忘の意味で付け加えておくと

『矢の家』(1924)に登場した

ニコラス・モロー巡査が

アノーの助手として

再登場しています。

 

 

舞台はフランス、ボルドー地方。

 

葡萄収穫祭りが近づいた頃

醸造所を併設した屋敷を訪れたリカードは

滞在客の、二人の女性が失踪し

その内の一人が

行李詰めの死体となって

発見される事件に遭遇します。

 

死体の両手は切り取られており

行李の中には

もう一人の失踪者の腕輪が

転がっていました。

 

別件で当地を訪れていたアノーは

リカードと共に捜査に乗り出す

というお話です。

 

 

原題の「オパールの囚人」というのは

第一章におけるリカードの

以下のような述懐に基づいています。

 

「この世の中はまるで

 大きな蛋白石[オパール]のやうなもので

「僕はその中に押し込められた人間」であり

「蛋白石は余り透明でないから、

 その中の囚人たる僕には、

 その外の世界は

 ほんの少ししか見えない」(p.4)

 

……という述懐の意味するところは

要するに、一寸先は闇

というようなことかと。

 

 

一方「木乃伊の穴」という邦題は

サン・ミッシェル大聖堂の

鐘楼の地下のことで

こちらでは18世紀後半から

1990年までの間

ミイラが展示されていたことに由来します。

 

同地は、土壌の関係で

墓地の死体がミイラ化しやすいらしく

それを展示するのもどうかと思いますけど

ユーゴーやフローベールなども

見物しにきていたそうです。


探偵小説の邦題としては

キャッチーかもしれませんし

作中でリカードが見学に赴き

ある奇妙な体験をするのですけど

事件の真相と

さほど深い関係があるわけでも

なかったりします。

 

 

邦訳書の表紙のイラストは明らかに

エジプトのミイラを

モチーフにしていますので

読む前は

R・オースティン・フリーマンの

『オシリスの眼』(1911)

みたいな話かと思っていました。

 

ところが実際に読んでみると

上に書いた通りで

エジプトのミイラとは

まったく関係ないという。( ̄▽ ̄)

 

 

もっとも、事件の背景には

オカルトが関わっています。

 

『薔薇荘にて』でも

降霊会が題材として出てきましたが

あちらはトリックのある

いわばイカサマでした。

 

それに比べると

本作品のオカルト趣味は

割とシリアスなものだったりします。

 

どういう類いのオカルトが

どういうふうに絡んでいるのかは

入手が困難な本ではありますけど

一応、エチケットとして

伏せておくことにしましょう。

 

 

その題材の特異性を除けば

いつものメースン調

いつものアノー譚

という感じ。

 

初訳本に付いている

訳者による序文に

「「オパールの囚人」は

 「矢の家」と全く同じ公式に則って

 書いたもの」という

メースン自身の言葉が

紹介されているようですし

 

 

上記の序文については

以下のページを参照しました。

 

https://www.aga-search.com/detective/monsieur_hanaud/3.shtml

 

初訳本の書影も掲げられていますので

興味のある方は

御覧になってみてください。

 

 

『薔薇荘にて』の解説によれば

翻訳は刈り込みも少なく

原書の大半を活かしているそうですが

やはり戦前の訳だけあって、というべきか

少々読みにくい。

 

ことにアノーの道化ぶりが

今ひとつ感じとれないのは

生真面目に訳しすぎたからでも

ありましょうけど

ちょっと物足りない感じ。

 

 

翻訳絡みで

ちょっと面白かったのは

醸造所を任されている青年に関して

「執事」と訳していること。

 

違和感を覚えたので

検索して調べてみたら

butler というのは

古フランス語の bouteillier

「酒のお酌係」に由来する言葉であり

「酒類保管者」という意味も

あるようです。

 

というわけで

原文は butler なんでしょうけど

ここは「ワイン管理者」と

意訳した方が良さそう。

 

 

訳文が今ひとつでも

だいたいのストーリーは

もちろん分かります。

 

ただ本書の場合

登場人物相互の微妙なやりとりが

すっと頭に入ってこないため

何が起きているのかよく分からない

というところもありました。

 

冒頭で

アメリカ人女性がリカードに

友人の手紙を読んでいると

死人の顔が浮かぶ

と話す場面があるのですけど

それが霊媒気質を暗示しているのかどうか

どうにも判断がつきかねるというのも

そのひとつ。

 

捜査の進行中に

伯母と姪の関係が

都会と田舎とで逆転したことが

謎として提示されてますけど

読み終っても

よく分からなかったり。

 

そんなこんなで

当方の読解力不足

というところは措いといて f^_^;

これはぜひ新訳してほしい1冊。

 

でないと味わい尽くせない

と思ったりしたのでありました。

 
 
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