『ポパーとウィトゲンシュタインとの(略)大激論の謎』

(2001/二木麻里訳、ちくま文庫、2016.12.10)

 

1946年10月25日に、

ケンブリッジ大学で開かれる

哲学討論の例会に招かれた

カール・ポパーの講演において、

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインと

ポパーとの間で勃発した議論、

通称「火かき棒事件」とは

どのような事件であったのかを

追及・再現しようとした本です。

 

原題は

Wittgenstein's Poker;

The story of a ten-minute argument

between two great philosophers

(ウィトゲンシュタインの火かき棒

 ——二人の大哲学者の間で交わされた

 10分間の議論の物語)で

原題の副題部分を基に付けたのが

邦題ということになります。

 

 

ウィトゲンシュタインは

言語哲学の分野であまりにも名高い存在で

自分も以前、ハマったことがあり

参考書に目を通していたものでした。

 

ポパーは

反証不可能な仮説(理論)は科学的ではない

という反証主義で有名な

科学哲学者です。

 

自分は、名のみ知るだけですけど

近年の日本の政治状況もあってか

最近になって、主著の

『開かれた社会とその敵』(1945)が

再び脚光を浴びているようです。

 

 

ポパーが講演を始めた際

反論したウィトゲンシュタインが

興奮のあまり火かき棒を手に取り

振り回したとか脅したとかしたらしく

それが哲学史上有名な事件として

知られているようで。

 

そんな事件があったなんて

ウィトゲンシュタインにハマっていた頃も

読んだ記憶がなく

へえー、と思い

買っておいたのでした。

 

ちなみに買ったのは

中目黒で宍戸留美さんが

対バンで出演する

ライブがあった日のことで

当地の新刊書店で時間をつぶしている時

長い長い邦題が目に入ってきて

釣られてしまいました。(^^ゞ

 

 

出たのが去年の12月で

今年の3月に買っておきながら

読みはじめたのは

今月に入ってからなんですが f^_^;

出てから半年近く後になったとはいえ

ともかくも読みはじめて

大正解でした。

 

電車の中で読んでいても

するすると頭の中に入ってくる

面白さ、読みやすさは

感動ものです。

 

 

著者の

デヴィッド・エドモンズと

ジョン・エーディナウは

BBSに所属する

ジャーナリストだそうです。

 

以前、こちらのブログで紹介した

『イギリス風殺人事件の愉しみ方』(2013)も

BBS絡みでしたが

イギリスのこの手の読み物の

完成度の高さには

感服させられること

しきりです。

 

 

本書に収録された

初刊本(2003年1月刊)の

「訳者あとがき」には

本書は「三とおりに読むことができる」

と書かれてあります。

 

ひとつは

ポパーとウィトゲンシュタインの

二重評伝としての面白さ。

 

もうひとつは

「群雄割拠する二十世紀前半の

哲学界をえがく、

ぜいたくな絵巻」としての面白さ。

 

そして最後のひとつが

「ウィーンとユダヤの民の現代史」

としての面白さで

昨今の日本における社会状況もあって

今回はこの第三の面白さが

いちばん胸を突いてきました。

 

 

ポパーもウィトゲンシュタインも共に

ウイーンのユダヤ人の家庭で

生まれたんですけど

ポパーの父親が

ブルジュア(中産階級)の

弁護士だったのに対し

ウィトゲンシュタインの父親は鉄鋼王で

ウィトゲンシュタイン家は

超が付くくらいのお金持ちだったそうです。

 

ウィトゲンシュタイン家の夜会には

当時の文化人が集まったそうですし

演奏会なども開かれたそうですが

そこではブラームスも

演奏したことがあるのだとか。

 

またウィトゲンシュタインの兄はピアニストで

ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は

ウィトゲンシュタインの兄に依頼されて

作曲された作品だそうです。

 

まあ、それくらい経済的に差があり

文化資本でも差がある

ポパーとウィトゲンシュタインでしたが

ユダヤ人であるために

ナチス台頭期

苦労を強いられることになります。

 

それを描くために

ウイーンにおけるユダヤ人の処遇と

ナチス台頭期のウイーンの状況について

筆が割かれており

その時のウイーンの人民のあり方には

暗然とさせられざるを得ません。

 

特にウイーンの哲学者で

学生の恋の鞘当てで殺された

哲学者モーリッツ・シュリックの

殺人事件の顛末は

他人事ではなく

昨今の、そして将来の日本の状況を

あぶり出しているかのように

感じられました。

 

 

何らかの哲学的知見が得たい人より

全体主義が横溢する社会情勢に

関心のある人の方が

興味深く読めるのではないか

と思う次第です。

 

もちろん、訳者のいう

「二重評伝」としての面白さも

充分堪能できます。

 

ポパーもウィトゲンシュタインも

実に人間くさいし

ウィトゲンシュタインの変人ぶりは

群を抜いている感じ。

 

ポパーが気負い立って仕掛けた議論を

会場を出た途端に忘れ去ってしまい

自分の哲学的問題に没入する

ウィトゲンシュタイン

というイメージは

チョー受けたんですけど

二人の出自からしても

いかにもありそうな感じですね。

 

そこらへんの説得力は

イギリス伝記文学の伝統を

あらためて

感じさせるものがあります。

 

 

文庫サイズながら

貴重な写真も抱負ですし

哲学は苦手という人にも

おすすめできる一冊。

 

カタカナ人名が出てくるのはダメ

という人には

残念ですが、というほか

ないですけど( ´(ェ)`)

 

 

ペタしてね

 

 

 

●訂正(2017年7月2日の)

 

ブログ・タイトルの

邦題を間違えてましたので

正しく直しました。

 

そのため、作者名を

タイトルから取らざるを得ませんで。

 

にしても

この邦題の長さは

記録的でございます。( ̄▽ ̄)