先日、なかにし礼の
『歌謡曲から「昭和」を読む』
を読みました。
(NHK出版新書、2011.12.10)
著者は
昭和歌謡ファンならご存知のとおり、
初期にはシャンソンの訳詞を手がけ
後には昭和歌謡の歌詞も手がけて
ヒット曲を輩出しただけでなく、
小説家としてデビュー後
『長崎ぶらぶら節』(1999)で
直木賞を受賞したという経歴の持ち主です。
小説に関しては
ひとつも読んだことがないのですけど
直木賞受賞作『長崎ぶらぶら節』が
2001年に
市原悦子主演で
テレビドラマ化された際
奈央ちゃんが出演しています。
これが奈央ちゃんの
テレビドラマ初出演であり
メジャー・デビュー作であるだけでなく
女優歴の始まりとなる作品でもあるんですが
ソフト化されていないこともあって
実はいまだに
観ることができてません。f^_^;
それはともかく。
今回取り上げる
なかにし礼の本ですが
松井須磨子の
「カチューシャの唄」を起点として
戦前の流行歌(歌謡曲)や
軍歌にもふれつつ
昭和の終焉までを扱っており
面白かったです。
歌謡曲というのは要するに
「昭和」そのものなのだ
という認識もなるほどと思いましたし
日中戦争・アジア太平洋戦争下の
いわゆる戦時歌謡を
要するに流行歌=歌謡曲なんだ
と規定するのも
なるほどという感じでした。
藍川由美のCDなどで
唱歌・童謡、流行歌や戦時歌謡だけでなく
中山晋平や古賀政男、古関裕而の
軍歌も含めた楽曲を
聴いていたこともあり
例としてあげられている曲のほとんどが
聞き覚えがあって分かった
というのも嬉しかったですね。
サトウハチローという作詞家と
(あるいは西条八十という作詞家と)
古賀政男という作曲家に象徴される
戦争責任という問題について
突っ込んだことが書かれているのも
感銘を受けた点のひとつでした。
また、戦後流行歌のトップを切り
国民に希望を与えたという位置づけの
「リンゴの唄」(1946)に対する
複雑な想いが書かれているのも
個人的には読みどころでした。
ほんと、昭和歌謡史における
「リンゴの唄」の特権的立ち位置は
さんざん聞かされてきましたが
なるほど、なかにし礼のような
満洲からの引き上げ者にとって
その明るさに違和感を覚えさせられた
というのも
分からないではありません。
いわゆる定番の「歴史」から
こぼれ落ちてしまう
こういうタイプの同時代感覚は
忘れないでおきたいところですね。
その一方で
石原裕次郎と美空ひばりという
2大スターに
昭和歌謡の幕引きの役割を与えるあたり
なかにし礼の実感なんでしょうけど
やっぱりちょっと鼻白んでしまったり。
定番の「歴史」観として
分からなくはないですし
おそらくは妥当だと思いますけど
「定番」だけに何となく
素直に受け止められなかったり
するわけでしてね。
60年代前半生まれの
こちらの実感ないし感覚と
合わないせいでもありましょうけど。
なかにし自身が関係してからの
歌謡曲界の裏話も
興味深い記述が多かったんですが
やはり出色なのは
作詞家・作曲家の専属作家システムと
フリー契約システムとの境目について
記述しているところでしょうか。
実際に現場にいただけに
説得力がありました。
「演歌」というものが
専属作家制の崩壊から生まれた
あるいは復古した
「日本調」の歌謡にすぎず
日本人の「心」の歌でもなんでもないし
現場では「日本調」の歌謡曲
と呼んでいたという指摘や証言は
いっそ気持ちいいくらいで。
グループサウンズ・ブームのあとに到来する
フォークソング・ムーヴメントに対して
対抗意識が感じられるようなところも
面白いといったら失礼かもしれませんが
興味深かったです。
吉田拓郎の歌だって
日本調の歌謡曲
いわゆる演歌と
変わらないじゃないか
というあたりは
妙に納得できたり。
専属作家制を崩壊させた
業界の動きについての
記述のあたり(第6章)に
和製ポップスの先駆的存在
と位置づけられている
エミー・ジャクソンの名前が出てきます。
そういえば
エミー・ジャクソンのCDは
中古で買ってあったけど
まだ聴いてなかったなあ、と思い
引っぱり出して聴いてみました。
今回は、もともと
そのCDについて
書こうと思ってたんですけど
なかにし礼の本についての感想が
ちょっと長くなりましたので
そちらについては
次の記事に続く。(^^ゞ