
(カメラータ・トウキョウ 30CM-405、1996.11.26)
古い日本の歌に興味を持つようになったきっかけは、
藍川由美の『文部省唱歌集 故郷(ふるさと)』を
聴いてからでした。
音楽雑誌かムックかの紹介で、
文部省唱歌は長い間に変化しており、
藍川盤は原点に立ち返って、
ピアノ伴奏譜の初出版を用い、
後に省略された歌詞も全て復活させた、
と紹介されているのを読んで、
古楽ファンの血が騒いだのでした。
もともと唱歌は、基本的に無伴奏で、
1932(昭和7)年に
教師用の伴奏譜が作られました。
だから、
歌自体は瀧廉太郎の作曲だけど、
ピアノ伴奏は山田耕筰の作曲
というものがあったりします。
ただ、曲によっては、
1941(昭和16)年の改訂時に
伴奏が簡単なものに
改められたものがあるといいます
また、戦後になって、
軍国主義的なニュアンスの歌詞が
削除されたりしていきます。
そのため、「われは海の子」は
もともと七節ありましたが、
現在の教科書では三節に改められている
といった具合です。
戦後になって現代仮名遣いに変わり、
文語的表現の歌詞が改められた場合も
あるようです。
たとえば、「歌(うと)う」が
「歌(うた)う」に代えられるとか。
でも、「冬景色」出だしの「さ霧消ゆる」は
「消える」に代えられることなく
「消ゆる」のままなんですよね。
かなりいいかげんです(藁
おまけに、単なる誤植が、
そのまま伝承された例もあるらしい。
歌は言葉同様、生き物ですから、
何もオリジナルにこだわる必要はない、
という考え方もあるでしょう。
改変されつつも、
まがりなりにも歌い継がれるのも、
ひとつの受容の形だ、というのも、
それはそれでひとつの見識です。
ただ、そうした改変で
歌が本来持っていた魅力が
失われるのだとしたら、
それは残念だという気がします。
ということを、もろもろ教えてくれた
藍川由美のCDは、
しっかりとした資料的調査に支えられてもいて、
たいへん当方の趣味にかないました。
なにより、どの曲も
歌詞が聴き取りやすいのが、いい。
実をいえば、前に紹介した
鮫島有美子の『日本のうた』は
藍川由美のCDを買った後に買ったものです。
で、「宵待草」に限ったことではなく、
その歌詞の聴き取りにくさに
辟易した記憶があるのです。
藍川が「宵待草」を吹込んでいないのは、
いかにも残念なことです。
『故郷』のライナーには、藍川本人によって、
上に書いた、歌詞の改変や伴奏譜の変化などが、
校訂レポート的に、事細かに書かれています。
こういう細かい、精確なライナーには、
心撃ち抜かれる質(たち)なんですよね(^^)ゞ
収録曲は、どの曲も、
学校の音楽の時間に習ったことのあるものか、
児童向けの番組で聴いたことのあるものばかり。
瀧廉太郎の「花」(♪春のうららの隅田川)は、
トラックを重ねて重唱で録音されています。
瀧廉太郎がそのように作曲しているからです。
これは聴きものですよ。
知らなかった歌は「青葉の笛」で、
平敦盛と忠度のことを歌ったものですが、
これがなかなかいい曲なのですよ。
よく知られたもののなかに、
編者の見識で珍しい、優れたものを入れる
というのは、名アンソロジーの条件でありまして、
さすがによく分かっているという感じです。
というわけで、この『故郷』に感心して、
藍川由美のCDを、集め始めたのでした。
なお、『故郷』は
2005年3月に再発売されています
(CMCD-20062)。
初回プレス盤よりお値段も少し安くなって、
お買い得ですよん。