『鎌倉逢魔が刻—谷戸—』

(小学館 flowers フラワーコミックスα、2017.2.15)

 

「鎌倉逢魔が刻」シリーズの第2巻です。

 

副題の「谷戸(やと)」というのは

谷状の地形のことで

除夜の鐘の音が幾重にも重なって

響いて聞こえてくるようです。

 

直接的には第6話と関係してきますけど

全体としては

いろいろな想いが重なって

響き合う空間が

イメージされているものでしょうか。

 


第5話「午後7時24分」は
第1話に通じるモチーフが
感じられるお話。

 

と同時に
生きづらさを感じている若者への
エールにもなっている気がします。

 


第6話「奏でる鐘」は
男2人、女1人という
グループの関係性の行方を描いた作品。

 

初期作品のテイストが感じられ
懐かしかったのと同時に
キャリアを重ねてきたことによって
醸し出される
深みも感じさせられました。

 


第7話「ひぐらしさん」は
おお、こう落とすのかと
びっくりしました。

 

あるキャラクターの正体というか
もともとの様態に驚かされた次第で
そういうありようから
こういうストーリーを考える
大野潤子という創作者の
ものの見方・考え方に

感銘を受けさせられます。

 


第8話は
これまで何度も書かれた
異界のものが登場するお話。

 

死んだ存在の側から描いた
グリーフワークと
死の受容の物語かとも思います。

 


ネタバレがあるので
未読の方は最後にお読みください
という書き出しで始まる
作者のことば(P.108)の最後に
「作品がこうしてコミックスになるのは
最後かもしれません」
と書いてあるのを読んでから
各作品の受け止め方が
ちょっと変わりました。

 

もっと切ない感じになったというか。

 


たとえば医療系小論文の
テーマとして出てくる
障害の受容」や
死の受容」といったことを
前巻に収録されたエピソードも含め
どの話からも感じられるというか。

 

第8話について
グリーフワーク
という言葉を出しましたけど
多かれ少なかれ
どの作品の背景にも
そうした考え方が
ベースになっていることを
改めて意識させられたというか。

 


グリーフワークというのは
必ずしも対人関係だけに
限らないのではないか。

 

「死」や「喪失」の対象は
人間だけとは限らないわけですから。

 

そんなことも
考えさせられたのでした。

 


それよりなにより
デビュー・コミックス
『きみたちは緑の胃ぐすり』(1988)以来
追い続けてきた作家の作品が
出なくなるということが起こるとは
予想だにしないことで

ちょっとショックなところもあり。

 

こういう経験こそ
喪失の受容にあたりそうな気がして
医療系のテーマが自然と
頭に浮んできたのかもしれません。

 

「最後かもしれません」という言葉の

「かもしれません」というところに

一抹の期待を寄せたいところです。

 

 

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