小川洋子の小説
『やさしい訴え』(1996)の中で
印象的な使われ方をしていた
『預言者エレミヤの哀歌』。

小説の中では
「復活祭前の聖なる三日間に
 教会で歌われた
 フランスの宗教声楽曲」(文庫版、p.83)
と書いてあります。

『やさしい訴え』の感想を書いた
記事の中でも記した通り
小説中に出て来るのは
一般的には
「ルソン・ド・テネブレ」と
呼ばれているものです。

「ルソン・ド・テネブレ」といえば
フランソワ・クープランのものが
有名なのですけど
小川洋子の小説中に出てきたのは
クープランのものではないようです。

それでも
よい機会なので聴き直してみようと思い
しまってあるCDを探してみたら
3枚ほど出てきました。


その掘り出したCDを紹介する前に
「ルソン・ド・テネブレ」という
ジャンルの背景について
以下、少々説明しておきます。

ちょっとお勉強っぽくなって
恐縮なんですけど
ご了承くださいまし。


復活祭前の
聖なる三日間に行なわれた
バロック時代(17世紀)における
フランスの宗教的儀式が
「ルソン・ド・テネブレ」です。
(「テネブル」と訳されることもあり)

「テネブレ」というのは
暗闇で行なわれる朝課のことで
13本ないし15本の蠟燭を
一本一本消していき
最後の一本を聖壇の後ろに隠す
という行事の間に
旧約聖書の「エレミヤの哀歌」
(「エレミア」と訳されることもあり)
に基づくテキストが
読誦されます。


「テネブレ」は本来
ラテン語で「暗闇」という意味だそうで
そこから行事の名前に転用されました。

「ルソン」の意味は「朗読」。
テネブレの行事の場合は
「読誦」と訳されることがあります。

そこで
「ルソン・ド・テネブレ」で
「暗闇の(聖務における)読誦」
という意味になります。


聖なる三日間というのは
本来は木曜、金曜、土曜だったようで
その深夜(明け方?)に朝課として
執り行なわれていましたが
フランスではいつの頃からか
これが前倒しになり
水曜、木曜、金曜の深夜に
行なわれるようになったそうです。

復活祭前の聖週間には
世俗の音楽が禁止されたこともあり
バロック時代(17世紀)のフランスでは
この「ルソン・ド・テネブレ」が
大流行したそうで
オペラ座を引退した歌手が入った尼僧院には
オペラ・ファンが押し寄せて
エレミヤの哀歌が読誦されるのを
聴いたのだとか。

宮廷や貴族のサロンでも
宮廷歌謡の歌い手たちが
エレミヤの哀歌を
世俗的なスタイルで歌ったため
教会関係者の眉をしかめさせたそうです。


17世紀のフランスにおいて
最も感動的な作品
といわれることもある
フランソワ・クープランの
『3つのルソン・ド・テネブレ』は
聖水曜日のために書かれた作品で
ロンシャン尼僧院の依頼で書かれました。

先に書いた
オペラ座の常連が押しかけたというのは
このロンシャン尼僧院だそうです。

第1ルソンと第2ルソンは一声
第3ルソンは二声の楽曲で
歌い手のパートはソプラノです。

第1と第2ルソンはオルガン伴奏
第3ルソンのみ
2台のヴァイオリンが伴奏に加わり
そしてすべての曲で
オルガンとヴィオラ・ダ・ガンバが
通奏低音を担います。

ただし今日の録音では
当時とは基準音の高さ(ピッチ)が違うので
ソプラノの代わりに
カウンターテナーないしコントラルトが
ソプラノの代わりを務めることが
多いようです。


で、掘り出した3枚のCDは何か
については
次回以降に書くことにします。

今回はなんか
お勉強みたいな記事で
すみませんでした。

でもバロック時代の音楽を
紹介するなり聴くなりするとき
現在では分からなくなった背景を
前提としますので
ある程度お勉強になるのは
しょうがないのでして。

そこらへんが実は
自分の琴線に触れたりするところでも
あったりするのでした。

あまり実践的な
というか
実利的な知とは
関係ないですけどね。(^^ゞ


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