以前、こちらのブログで
ピアニストの青柳いづみこには
バロックの鍵盤曲を弾いたCDがある
と書いたことがありますが
その1枚がこれ。

(ALM Records ALCD-7099、2005.10.7)
発売はコジマ録音です。
なんで
ドビュッシー弾きの青柳いづみこが
ジャン=フィリップ・ラモーを
弾いているんだろう
と思われるかもしれません。
実はフランスのピアニズムの流れには
バロックのチェンバロ曲を
ピアノで弾く伝統があるのでした。
青柳いづみこのお師匠さん
安川加壽子も
お師匠さんのお師匠さんである
ラザール・レヴィも
ラモーやフランソワ・クープランを
ピアノで弾いていたらしい。
これは本CDのライナーで
青柳いづみこ自身が
書いていることです。
ところで
本CDのライナーには
小説家の小川洋子が文章を寄せていて
これがなかなかいい。
小川洋子には
『やさしい訴え』というタイトルの
小説を書いてまして
これってラモーの曲に
インスパイアされたそうです。
小川洋子が聴いて
インスパイアされたのは
チェンバロ演奏かピアノ演奏か
よく分かりませんけど
(小説はチェンバロになってます)
自分は活字ヲタクということもあり
おお、小川洋子がライナーを書いている!
というだけで
このCD、愛蔵盤だったりします。
とかいいながら
小川洋子の小説の方は
未読だったりするわけですが。(^^ゞ
ラモーのチェンバロ曲の面白さは
曽根麻矢子のCDで知った人間ですので
「え~、ピアノなの~」
とか思いつつも
ピアノだとどういう感じなんだろう
という好奇心もあり
中古で見つけた時
購入しました。
(新譜でもまだ買えます。念のため)
で、聴いてみた結果
青柳いづみこのピアノ演奏は
これはこれで実にいい
と思った次第です。
小川洋子が感動して
小説を書いてしまったという
「やさしい訴え」もいいし
曽根麻矢子のCDで聴き
びっくりした
「ひとつ目巨人たち(キュプロクス)」も
青柳の演奏は疾走感があり
実にいいです。
どれも
チェンバロを前提として
書かれた曲ですが
構造がしっかりしているからなのか
響きは違えど
ああ、ラモーのあの曲だあ
という感じがされ
バロックはチェンバロじゃなきゃあ
という、こだわりを
忘れてしまうくらいですね。
チェンバロのような
響きの華麗さはないけれど
それだけに
旋律の可愛らしさというか
リリカルさが際立つ感じがされて
それは曲の構造がしっかりしているから
楽器が変わっても
ブレないんじゃないでしょうか。
ラモーすごい! とか思っちゃう。
ちなみに本盤の使用楽器が
1887年製のスタンウェイだと
記されているのですけど
青柳のCDにおいて
使用楽器の年度まで記されているのは
実はちょっと珍しい。
おそらくこれは
ドビュッシーが生きていたころの
ピアノで弾いてみた
ということではないでしょうか。
ドビュッシー(1862~1918)は
「ラモー賛」という
ピアノ曲を残していますから
ラモーを弾くか研究するかしていたこと
明らかなわけですし。
ラモーの有名曲は押さえられているし
これはピアノによるラモーの
名盤のひとつではないかと思います。
バロック、チェンバロ好きの自分が
そういうんですから
確かですよん(なんちゃってw)

ピアニストの青柳いづみこには
バロックの鍵盤曲を弾いたCDがある
と書いたことがありますが
その1枚がこれ。

(ALM Records ALCD-7099、2005.10.7)
発売はコジマ録音です。
なんで
ドビュッシー弾きの青柳いづみこが
ジャン=フィリップ・ラモーを
弾いているんだろう
と思われるかもしれません。
実はフランスのピアニズムの流れには
バロックのチェンバロ曲を
ピアノで弾く伝統があるのでした。
青柳いづみこのお師匠さん
安川加壽子も
お師匠さんのお師匠さんである
ラザール・レヴィも
ラモーやフランソワ・クープランを
ピアノで弾いていたらしい。
これは本CDのライナーで
青柳いづみこ自身が
書いていることです。
ところで
本CDのライナーには
小説家の小川洋子が文章を寄せていて
これがなかなかいい。
小川洋子には
『やさしい訴え』というタイトルの
小説を書いてまして
これってラモーの曲に
インスパイアされたそうです。
小川洋子が聴いて
インスパイアされたのは
チェンバロ演奏かピアノ演奏か
よく分かりませんけど
(小説はチェンバロになってます)
自分は活字ヲタクということもあり
おお、小川洋子がライナーを書いている!
というだけで
このCD、愛蔵盤だったりします。
とかいいながら
小川洋子の小説の方は
未読だったりするわけですが。(^^ゞ
ラモーのチェンバロ曲の面白さは
曽根麻矢子のCDで知った人間ですので
「え~、ピアノなの~」
とか思いつつも
ピアノだとどういう感じなんだろう
という好奇心もあり
中古で見つけた時
購入しました。
(新譜でもまだ買えます。念のため)
で、聴いてみた結果
青柳いづみこのピアノ演奏は
これはこれで実にいい
と思った次第です。
小川洋子が感動して
小説を書いてしまったという
「やさしい訴え」もいいし
曽根麻矢子のCDで聴き
びっくりした
「ひとつ目巨人たち(キュプロクス)」も
青柳の演奏は疾走感があり
実にいいです。
どれも
チェンバロを前提として
書かれた曲ですが
構造がしっかりしているからなのか
響きは違えど
ああ、ラモーのあの曲だあ
という感じがされ
バロックはチェンバロじゃなきゃあ
という、こだわりを
忘れてしまうくらいですね。
チェンバロのような
響きの華麗さはないけれど
それだけに
旋律の可愛らしさというか
リリカルさが際立つ感じがされて
それは曲の構造がしっかりしているから
楽器が変わっても
ブレないんじゃないでしょうか。
ラモーすごい! とか思っちゃう。
ちなみに本盤の使用楽器が
1887年製のスタンウェイだと
記されているのですけど
青柳のCDにおいて
使用楽器の年度まで記されているのは
実はちょっと珍しい。
おそらくこれは
ドビュッシーが生きていたころの
ピアノで弾いてみた
ということではないでしょうか。
ドビュッシー(1862~1918)は
「ラモー賛」という
ピアノ曲を残していますから
ラモーを弾くか研究するかしていたこと
明らかなわけですし。
ラモーの有名曲は押さえられているし
これはピアノによるラモーの
名盤のひとつではないかと思います。
バロック、チェンバロ好きの自分が
そういうんですから
確かですよん(なんちゃってw)
