『リモート・コントロール』
(1970/藤森千夏訳、論創海外ミステリ、2015.7.30)

ハリー・カーマイケルという作家は
今回の作品が
本邦初紹介となります。

巻末の解説によれば
1950年代にデビューしたイギリス作家で
以後1970年代後半まで
別名義の作品を合わせて
80作近い作品を上梓したそうですが
これまで一度も翻訳されたことがありません。

1950年代にデビューした
イギリスのミステリ作家には
往々にしてこういう場合があるようで
最近、創元推理文庫で
全作品が出揃う勢いで訳されている
D・M・ディヴァインとかも
その一人。

もっとも
ディヴァインのデビューは
1960年代に入ってからでしたが。


犯罪コラムを担当している新聞記者クインが
パブでのみ付き合いがあった男が
自動車事故で人を轢いてしまい
法規定以上のアルコールを
きこしめしていたこともあって
懲役18ヵ月の判決を受ける。

その半年後、クインの許に
男の妻から電話がかかってきて
夫が自分を庇って罪をかぶったのだ
当日運転していたのは
実は自分なのだと告白し
罪悪感にさいなまれているという。

クインは
気にしないよう、
忘れるように忠告するのですが
ある日、非番で留守のときに
電話がかかってきたという伝言があり
翌日、かけ直してみると
警官から相手は死んだと告げられ
事情を聞きたいから
出頭するように要請される。

さっそく出向いたクインでしたが
対応した警官は
クインが
事故を起こした男の妻の愛人で
自殺に見せかけて殺したのではないか
という疑いを匂わせてくる。

(この警官のイヤな感じが
 実によく出ていて
 怖くなると同時に、秀逸でした)

いやおうなしに
事件に巻き込まれたクインは
潔白を晴らすために
友人で保険調査員のパイパーとともに
事件の背景を調べ始めるのですが……。


物語が進むにつれて、
事故を起こした男の妻は
なぜクインに電話をかけてきたのか
なぜ今頃になって
事故の際に運転していたのは
自分だと言い出したのか
なぜ彼女は自殺したのか
殺人だとしたら誰がなぜ殺したのか
といった謎が積み重なっていきます。

殺人だとすれば
被害者の愛人が犯人だろうし
自殺だとしたら
愛人から捨てられたのが原因ではないか
と思われたのですが
愛人の正体が判明するに至って
ますます事件は
混迷の度を増していくことになります。


様々な証言を付き合わせている内に
パイパーはある構図に気づき
一挙に事件の真相が判明するのですが
これにはびっくり。

なぜそこに気づかなかったのか
と思わせるという点においては大成功で
久しぶりに
サプライズ・エンディングの快感を
味わいました。


これは超おススメ!

といいたいところなんですが
ちょっと訳文が悪すぎる。

それで
かなり印象を悪くなっているので
無条件でおすすめするのは
ためらわれます。

自分は多少の訳の悪さは
スルーする方なんですが
この作品に限っては
出来が良いだけに
もったいない気がされてなりません。


名詞で「話」と表記すべきところが
「話し」と動詞表記になっているとか
まあ、誤植程度ならいいんですが
たとえばパイパーとクインが
被害者の主治医に話を聞きにいく場面など
会話部分の口調(文体)で
常体と敬体が根拠もなく入れ替わっていて
読んでいて気持ち悪くなってきました。

こういう文体レベルの印象は
気にならない人は
気にならないのでしょうけど
自分はダメです。


あと、
これは訳文の問題ではありませんが
カーマイケルの小説は
登場人物の意識の流れ(内的独白)を
地の文にイタリックで挿入するのが
特徴のようなんですけど
原文がイタリックの部分は
明朝体活字の斜体になっています。

そればかりでなく
斜体部分が二重カギカッコで括られていて
読者に分かりやすくという
配慮なんでしょうけど
これは版面的に美しくない。

せめてギュメ(山カッコ)だったら
まだしもだったんですが。


原文のイタリックは
かつての翻訳小説では、たいがい
傍点付きになってました。

カーマイケルの作品のように
複数の段落にわたってイタリックが続く場合
その全部に傍点を付けると
うるさくなるのは想像がつきます。

が、明朝活字の斜体で処理するというのは
(これは論創社だけでなく
 創元推理文庫でもたまに見受けられますが)
個人的には好きではありません。

日本語の活字に斜体というのは
特に縦組みの場合
合わないように思います。

例えば細めのゴチック体にするとか
清朝体にするとか
縦組みにフィットする処理の仕方は
あると思うわけです。

斜体にするくらいなら
地の文と同じ明朝体にして
ギュメで囲むだけで充分ではないかと。


これは個人的な趣味に過ぎませんし
気にならない人は気にならないのでしょうが
自分はすごく気になったし
今回の場合
作品が素晴しいだけに
版面にも神経を使ってほしかったです。

それに加えて誤植やら
常体と敬体の不自然な使い分けやらが
加わるわけですから
全体で250ページ程度なのに
サクサクと読み進めるというわけには
いきませんでした。

しつこいようですが
作品の出来が良いだけに
上で書いてきたことが気になって
不快な思いをさせられるのは
ほんと、もったいない。


もっとも
こうした点について
細かいなあ、そんなの気にしないよ
という方であれば
すぐに手にとることを
おすすめします。

これでびっくりしないのは
かなりの読み巧者ではないでしょうか。

かくいう自分が
騙されやすいだけなんじゃ
というのは措いといてください(笑)


なんだか苦言が多くなりましたが
他の作品も読みたいと
思わせる作家に出会ったのは
久しぶりであります。

それについては
いくら強調しても
強調しすぎることはありません。

今後もカーマイケルの紹介が続くことを
切に切に期待したいと思います。


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