
(1940/藤村裕美訳、創元推理文庫、2015.9.11)
これまで創元推理文庫から
『悪魔と警視庁』(1938)と
『鐘楼の蝙蝠』(1937)が
1年ごとに刊行されてきた
イギリスの女性作家ロラックの
邦訳第3弾です。
原題は Death at Dyke's Corner
というのですが
今回のタイトルは、特に
ペダントリーに由来するのでも
言葉遊びに由来するのでもなく
死体が発見された場所が
ダイクス・コーナーという
カーブになって見通しの悪い道路上で
発見されたことに由来します。
corner が「曲がり角」という意味で
dyke というのは
「堤防、土手道」
あるいは「溝、水路」
という意味だそうなのですが
近くを川が流れてますから
そういう地形をふまえて
名づけられたのでしょう。
ある、大雨の夜に
ダイクス・コーナーを進んでいた車が
路上に放置されていた車のために
対向車のトラックに気づかず
大事故になるところだった
冒頭のシーンが印象的でした。
かろうじて事故を回避した車の運転手が
放置されていた車を覗くと
中には排気ガスの臭いが充満しており
一酸化中毒死した男が発見されます。
死んでいたのは
郊外型ショッピング・モールの経営者で
近所に新しい店舗を出そうとしており
古くからの商店主組合の数名が
反対運動を起こしている最中でした。
それだけでなく
被害者は家庭を顧みない好色漢で
プレゼントをエサにして
何人もの近隣の女性を
たらし込んでおり
そのためにも怨みを買っていました。
その後の捜査で
一酸化炭素による事故で死んだのではなく
何者かに殺害されたのではないか
という疑いが出てきたため
地元警察の要請を受けて
スコットランド・ヤードから
お馴染みのマクドナルド首席警部が
出張してきて解決にあたる
というお話です。
これまで創元推理文庫から出た2作は
いずれもロンドンが舞台だったのですが
今回は地方都市(というより村?)が舞台で
F・W・クロフツの
フレンチ警部シリーズを
彷彿させなくもない作品になっています。
夜になって電話で呼び出された被害者が
どういうルートで車を走らせたか
ということを突き止めるシークエンスは
まさにクロフツ張りというか
細かい手がかりや証言を集め
そうした事実に基づいて推理し
ルートを明らかにしていくあたりは
堅実で好感が持てます。
また、すべての章が
マクドナルド首席警部の視点から
語られるわけではなく
事件関係者の若い娘や
商店主たちの視点から語られる章が
途中で挿入されるのも
目先を変えて、いい感じです。
ただし、単に目先を変える
というだけではありません。
例えば
商店主たちの視点から語られることで
郊外の小村の小売り店主の感覚が
書き割りにとどまらず
生き生きとした印象を与えますし
それによって郊外型の大型店と
地元の商店主たちとの対立という状況が
鮮やかに立ち現われてきます。
小説として読んだとき
今回、いちばん面白い、というか
意外というか
新鮮に思われたのは
1940年代のイギリスで
現代日本にも見られるような
大型店と地元商店街の対立という問題が
起きていたということでした。
第五章では
治安判事を務める地元の名士と
彼を訪ねてきた友人の法廷弁護士と
名士の娘との会話の中で
郊外型ショッピング・モールの良さと
地元商店街への文句を
大学出の娘が話す場面が出てきて
社会学的な興味を惹きます。
今回は
地方に出張ってきたヤードの刑事が
謎を解くという体の物語とはいえ
内実は社会派ミステリでもあるわけです。
こういう風俗小説的要素を
ないがしろにしないところは
さすがにイギリス作家だけのことはある
とか思ったり。
あと、第13章の
反対運動のリーダーを気取る
地元新聞の社主が
警察に一時的に勾留された際
地元の商店主たちが
社主のガレージを「捜査」しにいく
という場面では
個人的な怨恨を
正義を僭称することで隠蔽し
問題行動を起こす様子が活写されています。
第13章の流れは
ユーモアを感じさせなくもないけれど
その結果を鑑みれば
正義の僭称と煽動による
問題行動・迷惑行為ともいえそうで
ペーソスを感じさせなくもない
名シークエンスだと思います。
ここらへんの人間心理の洞察には
感心させられました。
これはまた
戦時体制下の大衆ファシズムを
先取り、ないしは
象徴しているようにも感じられ
そういうのをきちんと描けるあたり
さすがにイギリス作家だけのことはある
とも思ったり。
ちょっと(イギリス作家に対する)
贔屓の引き倒しが過ぎますかしらん。
そして、
最後に明らかとなる
犯人の正体には
びっくり。
見事に騙されました。
ただ一点、いや2点かな
279ページと283ページの
犯人の台詞が
よく分からない。
279ページの方は
マクドナルドを騙そうとした
と解釈できなくもないのですが
283ページの方は
意識が朦朧とした中での
いわば無意識の発言でしょうから
違和感が残ります。
279ページと283ページの
犯人の台詞があるから
288ページで
犯人の名前が明らかになったとき
びっくりする
というわけでもあり
そう考えると
上の2ページの記述はズルい
という気もしなくはないのですが……。
とはいえ、今回の作品
1940年という時代を象徴するような
あるものがトリックに使われているのも
興味深かったし
推理の度合いも高く
面白かったです。
最終章(第16章)の冒頭に
登場人物の一人がマクドナルドに向かって
「ありのままの事実を聞いたかぎりでは、
じつに単純で、
筋道が通っているように思えたんだが、
わたしに興味があるのは推理なんだよ、
事実ではなくて」(p.289)
という場面がありますが
これは本格ミステリという
ジャンルが持つ自尊心を
よく表わす台詞だと思いますし
本作品の読みどころというか
ロラック作品のポイントを象徴する
実に含蓄のある台詞でした。
ロラックの未訳作品は
まだまだ、たくさんあるんですが
来年も訳されるかなあ。
ちょっと楽しみだったり。
