
(1938/藤村裕美訳、創元推理文庫、2013.3.22)
本国(イギリス)では多作なのに
日本ではあまり翻訳されていない
本格ミステリ作家のひとり
E・C・R・ロラックの新訳です。
原題は The Devil and the C. I. D.
この C. I. D. は
Criminal Investigation Department の略で
直訳すると「犯罪捜査課」
あるいは「犯罪捜査局」という訳になります。
本作の探偵役であり
ロラック作品のシリーズ・キャラクターである
マクドナルド首席警部は
ロンドン警視庁の犯罪捜査課ですから
間違いではないけれど
タイトルとしては野暮ったい気もします。
メフィストフェレスの扮装をした死体が
発見されたとき
マクドナルド首席警部が
チャールズ・リードの小説
『僧院と家庭』(1861)の一節を思い出し
「僧院と家庭」というより
「悪魔と警視庁」の方が似つかわしい
と思ったところからくるタイトルのようですが。
以下、犯人をバラしたり
トリックを割ったりはしていませんが
こうして欲しかったのにそうなってない
という書き方をしてたりしますので
まっさらな状態で読みたいという方は
ご注意くださいませ。
休戦記念日の霧の夜
マクドナルド首席警部が
庁舎前に停めていった車から
翌朝、メフィストフェレスの扮装をした
身元不明の死体が発見される
というのが出だしで
どうやら休戦記念日に開かれた
退役軍人支援舞踏会に参加した
仮装者らしいことまでは分かりますが
身元がはっきりしない。
同じ頃に、マクドナルドと同じ車種の
元オペラ歌手の自動車に
ミルトンの『失楽園』から引用した
文章が書かれた紙片が短剣と共に見つかり
元オペラ歌手の車と間違えて
死体が放り込まれたのではないか
という疑いを招きます。
そうした中、退役軍人支援舞踏会の
主催者を訪問したマクドナルドは
被害者の正体を知っていると思しい人々に
接近することになるのですが……
オビには「クリスティに比肩する」
「もう一人の女王」と書かれてますけど
アガサ・クリスティーに比べると
なかなか事件の焦点が絞られない感じがされ
「比肩する」というのは
いいすぎのような気がしました。
主役である首席警部の車から
メフィストフェレスの扮装をした
死体が発見されるという出だしは
充分、魅力的なのですけれど
そういう状況にならざるを得ない、
言い換えれば
犯人がそうせざるを得ない
必然性というものがないのが
物足りないところです。
それに、マクドナルドの推理を聞いた
警視庁の副総監が言うほど
「それこそ、わたしの言うところの
“明晰な推理”の一例」(p.282)
とは思えませんでしたので。
ある人物が証言を拒否するのは
ある人物にしか気づき得ないことに
気づいたからではないか
というのが推理のポイントなわけですが
これは推理というより
思いつきという感じがします。
そういう細々したところを抜きにすれば
そこそこ楽しめますが
推理の面白さという点では
クリスティに一歩譲る感じがしました。
あと、その
ある人物しか気づき得ないこと
に関わるアイデアは
某アメリカ作家の短編にも
あったような記憶があります。
もちろん、ロラックの方が先ですけど。
某アメリカ作家が誰で
何という作品かは
両方のネタバレになりかねないし
記憶違いかもしれないので
ここでは伏せておくことにします。
作中、マクドナルド首席警部が
ある関係者を訪ねた際
近所の教会でバッハを弾いている
というシーンがあり、関係者が
「この曲はなんだったかしら?
〈フーガ ト短調〉?」と一人ごちると
「〈小フーガ ト短調〉ですね」
とマクドナルドが答えるのですが(p.62)
海外でも〈小フーガ ト短調〉というふうに
「小」と付ける習慣があったのかと
ちょっとびっくり。
ちなみにこれは、BWV.578 でしょう。
日本では小学校の音楽の授業の
音楽鑑賞で聴かせられる有名曲です。
そのあとで、
ある関係者が衝撃を受ける場面で
〈トッカータ ヘ長調〉が流れる(p.64)
と書いてありますが
手許の資料を見た限りでは
バッハに、ヘ長調のトッカータは
ありませなんだ。
解説では、オルガン演奏を聴いて
〈小フーガ ト短調〉と聴き分けることを
マクドナルドのインテリぶりの
根拠としていますが
むしろ〈トッカータ ヘ長調〉を聴き分ける方が
インテリらしいかと思います。
その、〈トッカータ ヘ長調〉が流れる場面で
「あたりには冷たい霧がたちこめ、
遠くからはけっして絶えることのない
基礎低音であるロンドンの街の喧騒が
聞こえてくる」(p.64)とありますけど
原文を見ないと正確なところは分かりませんが
こここはやっぱり
「基礎低音」ではなく「通奏低音」と
訳してほしかった気がします。
その他、短剣と共に残された
紙片に記された楽譜の曲は
グノーの『ファウスト』ではなく
ベルリオーズの『ファウストの劫罰』だ
とマクドナルドが気づく場面があり(p.25)
自分は両曲とも聴いたことがないので
なかなかスノッブな感じなのですが
それは単なる装飾にとどまって
謎解きには関係しないのが
現代の読者である自分には
物足りないといえば物足りない。
結末で、ギルバート&サリヴァンを
口笛で吹く上司(総監補)に対して
ベルリオーズを吹いてやろうかと
マクドナルドが思う場面がありますが(p.285)
イギリスは名にし負う合唱王国ですので
こういうライトなペンダントリーは
当時の読者に受けたのかもしれませんね。
で、現代のミステリ者としては
単なるくすぐりに終わっているのが
物足りないところなわけです。
何が物足りないかというと
なぜベルリオーズの楽譜だったのか
ということまで
謎として立ててほしかった
ということなんですが。
ついでながら
『ソープ・ヘイズルの事件簿』に出てきた
「臨港列車」について
割注(p.101)が入っていたのが
ちょっと印象的でした。
読めば分かるとはいえ
『ソープ・ヘイズルの事件簿』の方で
当然、解説があってしかるべきだった
と思う次第です。