
(文藝春秋、2015.9.15)
火曜日に所要を済ませた帰り
地元の本屋を回って
3軒目で見つけました。
それも
いちばん大きい本屋にはなく
駅ビルに入っている
小振りな本屋で見つけたという。
まあ、大きい書店に入ってたのは
(入っていたとして、ですが)
誰かに買われてしまったのかも
知れませんけど。
さくさくと読めることもあり
もう読了しちゃいました。
積ん読が多い自分にしては
近来にないスピードで
われながらびっくり。
出版社に務める女性編集者が
仕事をする中で出くわした「謎」を
東京都は中野にある実家に住む
定年間近の国語教師である父親に話すと
たちどころに解き明かしてくれる
というシリーズです。
収録されている作品の内
「闇の吉原」が
『文藝別冊/泡坂妻夫』

(河出書房新社 KAWADE夢ムック、2015.2.28)
に載っていた
北村薫と法月綸太郎の対談の中で
ふれられていたので
まとめられたら忘れずに買わなきゃ
と思っていたのでした。
その「闇の吉原」は
すでに読んでいたのですが
それだけを読んでいた頃は
文芸推理のシリーズかな
と思ってたんですけど
収録作全8編を通して読んでみて
文芸推理ものというより
いわゆる日常の謎ものであることが
よく分かりました。
とはいえ
文芸絡みのネタも多いです。
主人公が出版社に勤めているから
というだけでなく、というか
それもあって、というか
謎解きのポイントに
文学史上のエピソード、というか
トリビアルな知識の
絡んでくるものが多い印象です。
謎解きのポイントに絡んでくるので
詳しくは書けませんけど。
現実の殺人事件こそ扱われませんが
……といったそばから補足しておくと
「茶の痕跡」には
殺人事件も出てきます。
ただしこれは昭和初期の事件で
フーダニットやハウダニットの
謎解きものでもありません。
それはともかく
作中現実の今、現在に起きた
リアル殺人事件こそ出てきませんが
タイトルから察するに
ジェイムズ・ヤッフェの
ブロンクスのママ・シリーズを
意識しているのかと思わせなくもない
安楽椅子探偵ものでもありました。
興味がおありの方は
先ごろ文庫化された短編集
『ママは何でも知っている』を
繙いてみても
いいかもしれませんね。

(1977/ハヤカワ・ミステリ文庫、2015.6.15)
あちらは母親と息子の会話という
スタイルを採っているのに対して
こちらは父親と娘の会話
というスタイルなわけです。
「数の魔術」のメイン・アイデアは
別の作家の作品でも
読んだような記憶がありますが
これは偶然でしょうか。
「小説ってのは
せんじ詰めれば筋じゃない。
どう書くかだろう」(p.27)
というふうに考えるなら
これはこれでいいんですけど。
主人公が会社の先輩と
牡蠣を食べているシーンで
『不思議の国のアリス』に
牡蠣が出てきたと
話す場面がありますけど(p.81)
正確には『鏡の国のアリス』でしょう。
そう書いてある短編のタイトルが
「鏡の世界」ですから面白い。
もっとも
ディズニー映画の方の
『不思議の国のアリス』なら
間違いではありませんけどね。
映画とも小説とも判断がつかない
書き方をしているので
『不思議の国』ではない
という指摘を
作者はチェシャ猫よろしく
ニヤニヤしながら
待ち受けているのかも知れませんけど。
ある登場人物が
こんなことを言っています。
「事実で説明出来るものって、
すっきりはするけど、
可能性の翼をたたませるところがある。
解釈の冒険って、
いかにも人間らしいじゃない」(p.193)
謎解きミステリですから
どの短編もすっきり説明されるわけですが
それでいて「解釈の冒険」といった雰囲気を
そこかしこに感じさせるところも
なくはありません。
それは、
すぐに答を出すというのではなく
主人公の知らない事実を
いろいろな資料で跡づけて示しながら
(蘊蓄を示しながらともいえる)
納得させていく語り口に
由来するものでしょうか。
個人的にお気に入りは
謎の提示が印象的な
冒頭の「夢の風車」と
今どきこの手のトリックか!
と嬉しくなってしまった
続く「幻の追伸」です。
