コミック版『世界の終わりのいずこねこ』
(太田出版、2015年3月13日発行)

映画『世界の終わりのいずこねこ』の
コミカライズ作品です。

もっとも、作者のあとがきでは
「映画原作とも
 コミカライズとも言い切れない」
「実写映画化作品」
だと書いてありますけど。


西島大介は
竹内道宏監督との共同脚本
という形で
映画に関わっている以外に
イツ子やスウ子のクラス担任
ミイケ先生役で出演してもいます。

映画にインサートされた
イラスト・カットも担当しているし
ミイケ先生が黒板に
いずこねこの
イラストを書く場面もあります。


先の記事
パンフの代わりに
コミックが出ていると言われて
買ったと書きました。

読んでみると
コマの欄外に註があり
お話の中に出てくる用語や設定が
説明されていたりして
確かにこれはパンフ代わりになる
と思った次第です。

巻頭および巻末に
イツ子とスウ子をメインとした
カラー・スチールが掲載されていて
そこらへんもパンフ代わりな感じ。


映画はイツ子の視点から
物語が進んでいきましたが
コミックスの方では
友人・スウ子の視点から
語られていきます。

映画ではイツ子も
かなり悩んだりしてましたが
コミックスの方では
悩まない能天気キャラという感じ。

難しいことはすべて
スウ子が考えるように
描かれています。


西島大介の絵は
書籍のカバー等でお馴染みでしたが
作品として読むのは初めてです。

可愛らしい絵柄なのに
書かれている内容は
かなりダークでハードな感じ。

「絶望に慣らされ過ぎている」
という台詞は
映画にも出てきたと思いますが
そういう台詞が含意する
現代という時代の閉塞感が
よく出ている気がしました。


で、映画はそれこそ
アイドルが世界を救うという意味で
いわゆるセカイ系の物語だった
と思うんですけど
コミック版の方は
「推し」という行為が世界を救う
という物語になっていて
微妙に力点がズレている
あるいは
軸足の置きどころが違っている
という印象です。

「推し」という行為が
どうして世界を救うのか
という点については
未読の方の楽しみを奪わないために
詳述しませんが
一度、読んだだけじゃ
分かりにくいかも。

ちなみに
いずこねこプロジェクトでは
ファンのことを
「飼い主」と称するらしく
そのことと
SF的なアイデアをうまく結びつけて
「推し」を
SF的に位置づけ直す力わざには
感心させられた次第です。


コミックのカバー裏には
「西島大介がマンガ家として描く
 『壮大なSFストーリー』にして
 『究極のアイドル論』」
と紹介されてますけど
上に書いたような
力点や軸足の置きどころから
「アイドルそのものについての論」
ではなく
「アイドルを推す行為についての論」
だと思う次第です。

ただ、143ページにある
レイニーの台詞が、
「推し」が臨界に達して
パンデミックが起きたのか
「推し」が臨界に達した時
たまたまパンデミックが起きたのか、
ちょっと曖昧なあたり
気になるところでして。

前者だと
「推し」が世界を救うという解釈が
成り立たないようにも思えてきて
困っております。

(個人で勝手に困っているだけですが【^^ゞ)


なお、宍戸留美が演じた
イツ子のママも
2コマほど出てきます。(p.145)

巻頭巻末のスチールに
写りこんでないのは残念。


展開商品のひとつ、
飯田えりかによる
『世界の終わりのいずこねこ』写真集
「THE ENDO OF THE WORLD
 AND THE CAT'S DISAPPEARANCE」
には写っているそうですが
(そう、宍戸さんが
 色紙にサインしながら言ってた)
予算の都合で買えませんでした。

残念。(´・ω・`)


ちなみに、先の記事でも書いた通り
オリジナル特典の栞に惹かれて
bookunion で買ったのですが
なんとカバー裏には
でかでかと
「オリジナル特典/しおり」
というシールが貼ってありました。

『世界の終わりのいずこねこ』カバー裏

こんなん初めて見ました。

流通で混乱させないためなのか
何なのか分かりませんけど
本好きとしては
トホホな感じですね。(´・ω・`)


本を入れてくれた
ビニール袋のイラストは
いい感じだったのになあ。

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