『逃走と死と』
(1955/佐倉潤吾訳、
 ハヤカワ・ミステリ、1961.8.15)

ちょっと気になることがあり
たまたま訳本を持っていたので
読んでみました。


原題は Clean Break といって
翌年、ペイパーバックになった際
The Killing と改題されました。

これはおそらく
スタンリー・キューブリックによる
映画のタイトルに
合わせたものと思われます。

映画の方の邦題は
『現金に体を張れ』(1956)で
「現金」に「げんなま」とルビが付きます。


訳者あとがきには
原題は「まんまと逃走」という意味だと
書いてありますけど
Clean Break を手元の辞書で調べると
「突然の中断」という訳が載っています。

これは競馬場現金強奪計画の
ある過程を踏まえていると思われます。

あるいは、ラストの出来事を
踏まえているのかもしれません。

「まんまと逃走」というのは
内容からすると
まんまと競馬場から逃走
ということでしょうか。

いずれにせよ、
ふたつの意味を掛けてあるんでしょう。

まんまと競馬場からは逃走して
計画は成功したけれど
突然の中断を迎える、ということで
現行の邦題になったものと思われます。


ただ、この邦題だと
小説のストーリー全体が
何かからの逃走中の様子が主となり
死が迫るサスペンスが描かれている
という印象を受けます。

実際は全十章中の第六章までが
犯罪計画と準備の描写にあてられていて
強奪事件が起きるのは
残り30ページになってからなので
上に書いたような
邦題から受ける印象とは
かなり違う話だなあ、という感じでした。


なお、資料によっては原題が
Run, Killer, Run(1959)
となってますけど
これは間違いです。

だいたい映画の原作だとしたら
1959年刊行の本であるわけがない。

上に書いたような印象を与える
『逃走と死と』という邦題が
そういう誤解の一因にも
なっているような気がします。


本作品は
競馬場のアガリを盗もうとする
犯罪小説(ケイパー小説)で
それが一応は成功するんですが
ちょっとした行き違いから
悲劇的な結末を迎える
というお話です。

そのちょっとした行き違いの原因が
一人の淫蕩な女性によるあたり
ノワールな雰囲気たっぷりですが
現在の眼からすると
ちょっとパターンにハマり過ぎてて
ラストの見当がつくかもしれませんね。

ただ、当時は
競馬場の現金強奪事件というのは
まだなかったみたいで
その先駆性も
評価のポイントのひとつに
なるのかもしれません。

プロの犯罪者集団による計画ではない
というところも読みどころで
だからこそ失敗することが
運命づけられていたとも
いえなくもないわけですけど。

それと、本作品で描かれた計画は
三億円事件と同様
その強奪事件のために
誰も死んでいないというあたりが
秀逸といえば秀逸です。

もっとも動物愛護協会からは
文句が来そうな計画ですがね。


それにしても
こういうケイパー小説を発表して
真似する奴が出てくるとは
考えなかったのかしら
とも思ったのですが
よくよく考えてみるに
こういう想像力の働かせ方というのは
最悪の事態を想定する想像力と
等しいものがあり
絶対事故が起きないという一方で
起きてしまうと想定外と言って済ますよりは
なんぼか健全なのではないか
とも思ったりしたことでした。

これを読んで
真似してやろうと思った
困った人もいたかもしれませんが
いろいろと条件が整わないと
難しいわけで
ほんとに頭のいい人なら
やってみようとは思わないでしょう。

そこは小説だけに
不可能だと思わせないように書いているし
不可能だと思わせないあたりが
筆力というものなわけで。


邦訳の方は
訳文がやや古びているのが残念でした。

キューブリック映画の原作ですし
新訳が出てもいいとは思いますが
無理かなあ。

……無理だろうなあ。


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