こちらは7月7日の記事の続きです。
そのつもりでお読みください。




都筑道夫は
『黄色い部屋はいかに改装されたか?』で
ミスディレクションを
「直訳すれば誤導、あるいは偽導でしょう。
 観客の心理をトリックとは反対の方向へ、
 持っていく技術のことです」(p.80)
と説明しています。

引用のページ数は下の本のものです。

『黄色い部屋はいかに改装されたか?』旧版
(晶文社、1975年6月20日発行)

現在は
フリースタイルという出版社から
増補版が出ていますが
上のが元版です。

詳しくいうと元版旧カバーってやつ。

それはともかく……

都筑は、さらに続けて
ロースンは作中の名探偵に
左手でトリックをやろうとする時は
観客の注意を右手に集めればいい
と言わせていると書いていますが
このロースンの作中探偵の説明は
やや不充分ですし
「言葉による騙し」と
直接的には結びつきにくい。

また都筑は
あるマジックの種明かしをやると思わせて
実は別の奇術に移る(その仕掛けをする)
という例をあげていますが
こちらの方が
心理的な誤導のイメージに近いですね。


松田道弘は『とりっくものがたり』で
ミスディレクションには
ふたつの種類があるといっています。

ひとつは
「主として観客の目や耳に働きかけて、
 観客の注意力を
 肝心のところからそらせる」(p.16)
フィジカル・ミスディレクション。
都筑が紹介した
ロースンの作中探偵が言っているのは
こちらですね。

もうひとつは
「観客の固定観念に働きかけて
 客の先入観や推理力そのものを、
 別の思考回路(チャネル)に
 そらしてしまおう」(p.17)という
メンタル・ミスディレクション、ないし
サイコロジカル・ミスディレクション。

都筑のあげた別の奇術に移る例がこちら。

いわゆるダブル・ミーニングですね。

メンタル・ミスディレクション
というふうにいうと
「言葉による騙し」に
少し近づいた感じがします。


ちなみに
『とりっくものがたり』の初版は
実家の本棚にあるので
今回は手許にある
下の本から引用しました。

『トリックものがたり』ちくま文庫版
(ちくま文庫、1986年9月24日発行)

文庫化にあたって改題されたのでして
初版のタイトル表記は
『とりっくものがたり』なんですよ、
念のため。

それはともかく……


アガサ・クリスティーの
ある長編の中に
こんなシーンがあります。

ポアロが執事に日付を確認すると
執事がカレンダーに近寄って確認する
という場面を描いており
この場面を読んだ読者は
日付が重要なのだと思うけれど
実はポアロは
執事の眼が悪いのを確認したかった
ということが、最後に分かります。

こういうのが
ミスディレクションなのですが
これでも「言葉による騙し」とは
微妙に違うような気がします。

書き手であるクリスティーは
言葉で騙しているわけですが
宮脇孝雄がイメージしているのは
作中人物の発言による「騙し」
だと思われます。

それはどういうものかというのは
まあ、次回に。


前回のクイズの答ですが
直径は14センチです。
OBCDは直角四辺形ですから
円の半径OCの価はBDの価と同じと気づけば
BDの価を倍にすれば直径になる
というわけ。

ABの3センチというのは
直径を出すのにいらないデータなんですが
BDの価が半径と同じであることから
解答者の気をそらせるために
あえて示してあるデータなわけです。

この問題の線ABが
フィジカル・ミスディレクションにあたるのか
メンタル・ミスディレクションにあたるのか
ちょっと説明が悩ましいところですが
線ABがレッド・へリングだといわれると
ちょっと腑に落ちる感じですね。


ちなみに
レッド・ヘリング Red Herring
というのは
「赤いニシン」という意味で
むかし猟犬を訓練するときに
犬の気をそらす偽の獲物として
赤いニシンを蒔いたことに由来するのだとか。

ドロシー・L・セイヤーズの
長編ミステリに
『五匹の赤い鰊』(1931)
というのがありますが
これは
五人の偽の容疑者
という意味になります。

ですからむかし
『六人の容疑者』という
仮の邦題が付けられたことがあります。

まあ、これは余談でした。


というわけで
To be continued.


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