
(1939/高橋豊訳、
ハヤカワ・ミステリ、1957.10.31)
文庫版を入手できてないので
本邦初訳本である
ポケミス版で読みました。
ノン・シリーズものの長編です。
後に『ゼロ時間へ』(1944)で活躍する
バトル警視は登場しますが
最後に顔見せ程度に出るだけで
事件の調査自体は
マレー半島から帰国してきた
元・植民地駐在警官だった
ルーク・フィッツウィリアムが務めます。
ロンドンに向かう列車の中で
郊外の小村ウィッチウッドに住む老婆と
乗り合わせたルークは
その老婆から
ウィッチウッドで連続殺人が起きている
という話を聞かされます。
半信半疑だったルークでしたが
翌日の新聞で
当の老婆が轢き逃げにあったことを知り
さらに数日後の新聞で
老婆が次の犠牲者だと言っていた医師の
死亡記事を見つけるに至って
ウィッチウッドに行って
調べてみようと思い立ちます。
タイトルの「殺人は容易だ」というのは
死んだ老婆がルークと交わした
会話の中に出てくる言葉です。
この作品、出だしは実に良くて
特に汽船連絡列車が見知らぬ駅に停まり
売店の競馬速報に
目を引かれたルークが降りると
いつの間にか汽車は出ていて
赤帽と押し問答をする場面は
お伽噺めいた幻想性と
奇妙なユーモアが感じられます。
それから、
叔母さんを思わせる老婆に出会って
奇妙な話を聞かされて
その後に老婆が事故死するという流れは
実にキャッチーでした。
にもかかわらず、
ウィッチウッドに向かったルークが
調査を進める過程は、やや退屈。
というのも、
ルークの調査が
行き当たりばったりで直感的なので
事実を詰めていったり
少しずつ判明していったりする面白さが
あまり感じられないわけです。
いかにもな怪しい人物が何人か出てきて
犯人である可能性を追究しますが
確証が見つからないので
犯人はそのうちの誰でもいい
という感じになって
それが退屈さに与っているからです。
あと、地方の迷信や民俗の研究のため
という口実で村にやってきながら
そちらのフィールドワークを
ほとんどしない(描かない)あたりも
物足りなく感じられます。
村には黒魔術にハマっっているらしい
骨董店の若者がいて
森の中で怪しげな儀式をする日が
分かったにも関わらず
それを調べに行くという場面がない。
特にそこで目撃したことが理由で
殺された人間もいるのではないかと
ルーク自身が考えたりしているのに
それを調べないのは
おかしいでしょう。
現代の作家なら
絶対、書くと思います。
郊外の村における
魔術的なものを題材にした作品では
『蒼ざめた馬』(1961)
というのもありましたけど
あちらの方は、魔術的なものを
それなりに描写してたんですけどねえ。
あるいはページ数を合わせる関係上
(当時は本の厚さが決まっていた
という話を聞いたことがあります)
書けなかったのかもしれませんが……。
ルークがある関係者に
警察から派遣されてきたのか
と聞かれて
次のように言う場面があります。
「いや、わたしは
私服刑事じやありません」
彼はさらに諧謔調をまじえてつけ加えた。
「つまり、小説によく出る
あの私立探偵ということに
なりますかな」(p.107)
この「私立探偵」というのは
アメリカのハードボイルドに出てくる
探偵を指すのかもしれません。
ですから案外、
クリスティーとしては
アメリカ流のミステリを
試みたつもりなのかも。
ちなみに、
犯人の正体が分かった途端に
この前や後に発表された
クリスティー自身の某長編などを
連想してしまいました。
ネタバレになりますから
題名は伏せますが
それらの長編を思い出すと
クリスティーの立てる
プロットのひとつの型が
あぶり出されてくるか、と。
ルークが滞在している館の主人で
新聞事業で地位と名誉を得た
ゴードン・イースターフィールド卿の
秘書で、婚約者でもある
ブリジェット・コンウェイに対する
ルークの恋愛関係が浮上してくる
第12章あたりから
ちょっと面白くなったかな。
ただ、二人の関係に
もうちょっと
軽妙な感じが出ていると
もっと楽しめたのに
と思わないでもないですけど。
あと、「つねに正義の人たらんと
つとめてきた」(p.153)
イースターフィールド卿が
特異なキャラクター性を垣間見せる
第18章の晩餐の席での
ルークとの会話は
なかなか迫力がありました。
「正義」を推し進めようとする人の
狂信的なありようを連想させ
ちょうど第二次世界大戦の
直前ということもあり
正義ファッショのようなものを
象徴しているようにも
思われたわけです。
ブリジェットがルークに
自分のことが好きかと聞いたあとで
以下のようなことを言う場面があります。
「好きだつてことは、
愛してるつてことよりも
ずつと大切だと思うわ。
長つづきするから。
あたし、二人の間に
いつまでもつづくものがほしいの。
ただ愛し合つて結婚して、
お互いに疲れて、
しまいには他の人と
結婚したくなるようなのは
厭だわ」(p.205)
ブリジェットの言う
「好き」というのは、
なんだかよく分かりませんが
今なら、気が会うという程度の
ニュアンスでしょうか。
ここにクリスティーの結婚観を
垣間見ることができる、
といってしまうと
いかにもな作家論に
なっちゃいますけどね。
