$圏外の日乘-『シンデレラの罠』新訳版
(1962/平岡敦訳、創元推理文庫、2012.2.29)

『猫の舌に釘をうて』
紹介した時にも書いたとおり
そして上に掲げた写真の
オビの惹き句でも分かるとおり
〈探偵=証人=被害者=犯人〉という
一人四役を成り立たせた
トリッキーな作品として
知られています。

昔、一度読んでるのですが
新訳が出て気になっていたこともあり
再読してみました。


「わたし」が目を覚ますと
そこは病院で、
火事に巻き込まれて
顔と手に火傷を負っただけでなく
記憶を失っている状態でした。

周囲の話によれば
「わたし」の名前は
ミシェル・イゾラだという。

ドムニカ・ロイという友人と
田舎の別荘に暮らしている時に火事に逢い
ドムニカを助けようとして果たせず
ひどい火傷を負ったらしい。

その内、後見人だという
ジャンヌ・ミュルノという女性に
引き取られ、世話を受けるうちに
「わたし」はだんだんと
記憶を回復していくのだが……
というお話です。


とにかく『シンデレラの罠』といえば
一人四役という設定のみが
一人歩きしている感じで
最初に読んだときは
あまり面白くなかった記憶があります。

今回、読み直してみると
なるほど中学生の頃(たぶん、その頃)は
面白いと思えなかったろう
ということが、よく分かりました。

でも、それなりに読書経験を積んでいる
今の自分にとっては
後半のサスペンスと趣向は
なかなかのものでした。


都筑道夫が、三一書房版の
『猫の舌に釘をうて』のあとがきで
「主人公を記憶喪失症にすれば、
無理をしなくても出来そうだったが、
こうした設定でだれもが最初に考えるのは、
それだろう」といい、
『シンデレラの罠』が紹介されたとき
「いちばんがっかりしたのも、
そこだった」と書いています。
(このあとがきは、光文社文庫版に
まるまる収められています)

ただ、これは新訳版の
「訳者あとがき」にも書いてありましたが
ジャプリゾは一人四役という
物凄いアイデアを考えついて
書き始めたのではないだろうと思われます。

だから、都筑の「がっかり」は
(それは昔の自分の「がっかり」でも
 あると思うわけですが)
ちょっと読みの勘所が
ズレているような気がします。

一人四役ということをアピールしたのは
当時の出版社の宣伝コピーであり
本文中にも
「わたしは探偵、犯人、被害者、証人、
その四人すべてなのだ」(p.253)と
書かれてはいますが
それは、ページ数からも明らかなとおり
結果的にそうともいえる
という程度の扱いでしかないような気がします。

今回、最後まで読み進んでいって
この小説のポイントは一人四役ではなく
うーん、どういえばいいか、
「訳者あとがき」にもあげられている
超有名な短編の名前をあげれば
ピンと来る人もいるでしょうが
それだとすぐさま
ネタ割れ(趣向割れ)になってしまうし……


記憶喪失ものとして読むと
失われた記憶の内容の見当がつくので
途中の200ページぐらいまでは
退屈なのです。
(少なくとも自分は退屈でした)

ところが200ページ超えてから
具体的には「わたしは殺します」の章から
俄然、面白くなってきます。

それは、犯行計画が
思わぬ方向から崩壊する面白さ
であると同時に
読み手の思い込みを覆す契機が示され
読み手の信憑が
どんどん浸食されていく面白さ
でもあります。

「シンデレラの罠」というタイトルが
何から取られたのかも明かされ
それも面白いのですが
読み手の信憑を浸食する技巧は
一人四役というアイデア以上に
すごいのではないかと思います。


新訳版の「訳者あとがき」には
上に述べた技巧について
丁寧に解説されていますが
(だから小説を読んだ後にお読みください)
そこでショシャナ・フェルマンの
ジャプリゾ論が引かれているのには
びっくりでした。

ショシャナ・フェルマンといえば、
ラカンの入門書として分かりやすかった
『ラカンと洞察の冒険』(1987)とか
言語行為論の名著とされる
『語る身体のスキャンダル』(1980)、
そしてこれはまだ未読だけど
(例によって買ってはあるw)
『文学的事象と狂気』(1978)
といった著書で知られる文学理論家です。

上にあげた順で翻訳が出てまして
昔ちょっとハマりました(^^ゞ

自分は、やや権威主義的というか
教養主義的な傾向があるので
たまたま知っている
フェルマンの名前が出てくるだけで
ほほうと思ってしまうクチなのですが(苦笑)
なるほど『シンデレラの罠』は
単にミステリであるだけでなく
現代文学でもありましたか、と
感心させられることしきりでした。


こちらは訳が悪いといわれている
旧訳版のカバーです。

$圏外の日乘-『シンデレラの罠』旧訳版
(望月芳郎訳、創元推理文庫、
 1964.11.27./1975.9.26. 第23版)

初読当時、新刊で買ったはずですが
ご覧のとおり
映画のスチールをあしらったカバーでした。

この手の映画スチール・カバーは
好きになれなかったものですが
『シンデレラの罠』に関しては
少なくとも表紙はセンスがいい方で
いまだにソフト化されていないことを思うと
今となっては、ちょっと珍しいと
いっていいかもしれません。