『ブラウン神父の無心』という邦題は
ブラウン神父が
お金ちょうだいって言ってるみたいだ
という感想を聞いたことがあります。

原題は The innocence of Farther Brown で
昔からこの innocence を
日本語に置き換えることに
訳者の皆さんは苦労されてきました。

創元推理文庫版は「童心」
ハヤカワ・ミステリ版は「無知」
新潮文庫版は「純智」といった具合。

江戸川乱歩による
「師父ブラウンのとぼけ」
という試訳もあります(笑)
(『続・幻影城』収録のエッセイ
 「英米の短篇探偵小説吟味」参照)

その中で、今回『無心』というのが
加わったわけですが
(もっとも訳者あとがきによれば
 先例はあるようですが)
表題だけでなく、収録作品中
オールドファンにとって
最も違和感のあるタイトルが
「透明人間」じゃないかと思います。

恋敵に脅迫されている男が
アパートの自分の部屋から
栗売り、巡査、門衛、
住人の一人(?)が見守っている中
誰にも見られずに侵入した
何者かに殺されてしまうという
密室トリックものの一編です。

戦前訳では「影の男」、
「見えざる人」というのがあり、
ハヤカワ・ミステリ版だと「見えない人」、
創元推理文庫版だと「見えない男」
と訳されてきた作品です。
原題は The Invisible Man 。


実は先行訳で「透明人間」と訳したのが
自分の知る限り、もうひとつあって
それが先に紹介した
『『ブラウン神父』ブック』(1986)に
訳し下されている柳瀬尚紀訳です。

『『ブラウン神父』ブック』で
初めて見たとき
すごく違和感があったことを覚えてますが
(そして結局、読み直さなかったこともw)
今回、読み直してみると
「透明人間」とするのも
まったく意味がないわけではないと
気づかされました。

すでに誰かが書いてたかと思いますが
チェスタトンは明らかに
H・G・ウェルズを意識していて
原題も全く同じなので
ウェルズの「透明人間」のパロディ
ないしミステリ版を狙ったのが
チェスタトンの「透明人間」なのだと
かなりの高い確率でいえそうなのです。


作中で被害者になるのは
家事ロボットの開発で成功した男で
被害者が消えた部屋には
無機質で首のない家事ロボットが
いくつも残されていて
その家事ロボットが襲ったんじゃないか
と登場人物の一人が思うくらいです。

当時、そういう家事ロボットが
実用化されていたとは思えませんので
(たぶん。
 自分が知らないだけかもしれません)
そこからして明らかに寓話的な
あるいは空想科学小説的な雰囲気を
意識的に、あるいは皮肉として
作り上げようとしているわけです。


現場のアパートの入口に積もった
雪の上に足跡が残っているのに
門衛や近所を巡回していた警官などは
誰も通らなかったと言う。
まさに人間が透明になって出入りした
かのような状況なわけですが
(ウェルズの「透明人間」にも
 雪の上の足跡というシーンが描かれるのは
 みなさん、ご存知の通り)
ただ一人、ブラウン神父だけが
その「透明人間」の正体に気づくわけです。

これは超有名な短編でして
見えない人トリックといえば
ミステリ者なら誰もが知っております。

ネタバラし本で
さんざんバラされるということもあり(苦笑)

ただ、今回読んで思ったのは
雪の上に足跡が残っていると
ブラウン神父が言った時点で
その足跡の主は誰かと門衛に聞けば
一発で真相が分かるんじゃないか
ということでした。

でも、誰もそこを追求しない(苦笑)

今、読むと
それがかなり不自然なのですが
ほとんどの読者は
チェスタトンのレトリックで
スルーしちゃうわけですね、たぶん。


あと、当時のある風俗の
スタイルを知らないと
今の人には
ピンとこないんじゃないか
と、やっぱり思います。

初版本に付せられた挿絵を見て
ああなるほど、と
思うようなところがあります。
(『『ブラウン神父』ブック』に
 再録されています。
 まんま、ネタバレです【苦笑】)


でもまあ、それを知って読むと
今度は、ケーキ屋の娘にからむ
「透明人間」をめぐる伏線は
あまりにもあからさまで
当時、ほんとに読者はみんな
騙されたのかと思いつつ
見事の一言につきるといわざるを得ません。

未読の方は、一読後、もう一度読んで
そこらへんを確認してみても
いいのではないかと思います。

チェスタトンのミステリって直感型で
伏線なんて張ってないと思ってましたが
これには今回、再読して脱帽しました。


そういうトリックのすごさというか
伏線のすごさもさることながら
先に述べた家事ロボットの件りと同様
まったく忘れていたのが
最後の場面です。

事件現場から関係者と共に帰る途中で
犯人の肩に手をかけるという
急転直下の展開もびっくりしますが
そのあと、すぐに警官に引き渡すのではなく
「雪の降り積もった丘を
 殺人犯と一緒に何時間も歩きまわ」るのです。

「二人が何を話し合ったのかは知るよしもない」
と語り手は書いていますけど
これはもちろん
殺人犯の懺悔を聞いているわけで
こんなシーンで終わるとは
まったく記憶にありませんでした。

通常のトリック小説なら
意外な犯人を指摘して終了ですが
探偵役が神父なので
そういう場面で終わる、ともいえますけど
ブラウン神父シリーズで
解決後に犯人の懺悔を聞くという場面は
あまり描かれないのではないかと思います。

その意味でも、この作品は特異でして
「奇妙な足音」や「飛ぶ星」を読んだあとで
「透明人間」の最後の一文に接すると
たいへんな深みを感じさせられます。

深みとか深いとかいうのは
何もいってないのに等しいのですが
まあ、やっぱり簡単にはいえません。

前にも紹介した「青い十字架」
「司祭でないわけにはいかないんですよ」
というブラウン神父の言葉を
深いなあと思う感覚にも似た感覚
とでもいっておきましょうか。

ちょっと一言では言い難いですね。