
『深夜の散歩』の話題の続きです。
今回でようやく、丸谷才一のパートについて。
丸谷才一の「マイ・スィン」は
中村真一郎の『バック・シート」の後を受けて
『エラリイ・クィーンズ・ミステリ・マガジン』
通称・日本版EQMMに
1961年10月号から1963年6月号まで
21回にわたって連載されました。
そのうちの15回分が
単行本に採録されています。
連載分すべてが
収録されたわけではありません。
念のためいっとくと
「マイ・スィン」というのは
MY SIN で「私の罪」、
気取っていえば「わが罪」
「己(おの)が罪」という意味です。
丸谷は、福永武彦や中村真一郎の
七歳年下の世代ですから
連載当時は37歳でした。
「年の残り」(1968)で
芥川賞を受賞する5年くらい前、
EQMMでの連載を終えた翌年に
ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』の
超有名な翻訳を共訳で出すわけですので
新進気鋭の英文学者だったころの
連載ということになります。
後にエッセイストとして
よく知られるようにもなるわけですが
そのエッセイストぶりというか
才気煥発ぶりが
すでによく現われています。
連載第1回でアガサ・クリスティーの
『クリスマス・プディングの冒険』を取り上げて
ポアロやらマープルやら
パーカー・パイン、
タッペンス夫妻を持ち出してきて
クリスマスの本が日本では夏に出たことを
ユーモラスに紹介する出だしは
非常によく覚えております。
最近、日本オリジナル編集の短編集が出た
フリードリヒ・デュレンマットについての回が
書簡体スタイルで書かれているのは
よく覚えてましたが
そこで文学的探偵小説称揚論を
皮肉っているのは忘れてました。
そこには次のような一節があります。
「一般に、探偵小説は、
その国民が最も好む娯楽によつて
彩られるのだと思ひます。
だからフランスの探偵小説は
あれほど心理の穿鑿に明け暮れるのだし、
アメリカの探偵小説では
あんなに精神分析や気違ひが出て来るのだし、
イギリスの探偵小説では
あんなに冒険とユーモアが大事な要素になる。
日本のいはゆる社会派推理小説の隆盛だつて、
日本人が貧しいため本を買ふことができず、
新聞の三面記事をていねいに読んで
暇つぶしをするといふ習慣の反映なのです。」
(ちくま文庫『快楽としてのミステリー』pp.88-89)
この文章の初出は1962年5月号です。
「日本人が貧しいために本を買ふことができず」
というあたり、隔世の感があります。
今なら、日本の探偵小説があんなに
(といっても、一部だけかな? w)
学園を舞台にしたり
萌えキャラを出してきたりするのは
アニメやまんがを愛好することの反映
ということになりそうです(笑)
丸谷の発想の基には
「小説の社会性」ということ
すなわち
「もし登場人物のめいめいを
社会のなかに生きてゐる人間として
とらへるのでなければ、
小説の条件は最初から
踏みにじられてゐるといふやうなこと」
(同、p.432)
が前提となっています。
上に引いた社会性に関する文章は
1971年12月に刊行された
松本清張全集の解説として
書かれたものの中に出てきますが
こうした考え方は、丸谷の場合
60年代からずっと通底してきたものです。
その意味では
中村真一郎の文学的立場に近い。
福永武彦は、この二人よりはもう少し
純粋な小説寄りという印象ですね。