$圏外の日乘-『死の扉』新訳版
(1955/小林晋訳、創元推理文庫、2012.1.27)

今年のはじめに出た本ですが
今ごろ読み終えてます。

といっても読むのは
今回が初めてではありません。

『死の扉』はかつて東京創元社から
「現代推理小説全集」という叢書の
第1巻として刊行されており
そちらで読んだことがあるからです。

$圏外の日乘-『死の扉』旧版
(1955/清水俊二訳、東京創元社、1957.8.5)

上の写真でも分かるとおり
手許の本はハコ付きですが
附録の月報は付いてません。

現代推理小説全集で出た後
翌年、同じ訳が普及版で出たようで
さらに1960年に
創元推理文庫に収められましたが
そちらは両方とも持ってません。

というわけで
本邦初訳から55年ぶり
最初の文庫化から52年ぶりに
新訳になって再刊されたわけです。


歴史学者で教師をやっている
キャロラス・ディーンが
村で起きた老婆殺しと
その死体を発見した警官殺しという
二重殺人事件に挑む話です。

素人探偵が警察を向こうに回して
鮮やかな謎解きを見せる(魅せる)という
良くも悪くもクラシカルな
犯人探しミステリです。

昔、読んだきりで
詳しい内容は忘れてる
と思ってましたが
警官殺しが発覚する時点で
トリックのミソを思い出しました。

それでも楽しく読み終えられましたけど。


実は、昔、初めて読んだときは
さほど印象にも残らなかったのですが
(だからトリックも忘れていたw)
今回、読むと
上に書いたトリックのミソの部分が
心理的に無理があるのではないか
と思ったりもしたり。

たとえていうなら
アガサ・クリスティーの
『ABC殺人事件』(1936)にも似た
不自然さというか
そこに抵抗を覚える人も
いるのではないかと思ったり。

そこらへんが良くも悪くも
古典的な犯人探しものたる所以でして。


600ページ近い本が多い
現代のミステリに比べると
350ページほどでまとまっているので
読みやすいし、ありがたい。

その一方で、現代のミステリが
なぜ600ページも必要とするのか
本書のような作品を読むと
分かる気もするのですね。

詳しくいうネタバレになるので
これ以上は書きませんが
登場人物の心理や
生活背景などの描写が薄くても
(図式的ともいえるし
 それゆえに、簡潔だとも
 いえるわけですが)
エッジが利いてなくても
トリックや謎解きが面白ければそれでいい
という人にはおススメです。


表紙の左下に描かれているのは
キャロラス・ディーンと
教え子でワトスン役を務める生徒の
ルーパート・プリグリーでしょう。

$圏外の日乘-ディーンとプリグリー

このイラスト、割と作品の雰囲気を
象徴しているような気もしたり(苦笑)