$圏外の日乘-『レクイエム「ああ此の涙をいかにせむ」』
(DENON COCO-80660、1997.8.9)

うーん、ジャケが黒いと
撮影者が映り込んじゃうんだよなあ。
お見苦しい点はご容赦をm(_ _)m


藍川由美による
「古関裕而歌曲集-2」です。

いわゆる戦時歌謡を中心とするアルバムで
古関裕而と聞いて軍歌を連想した
翻訳家のNさんからすれば
まさにイメージ通りの曲集だと思います(苦笑)

ただし
表題曲「ああ此の涙いかにせむ」のみ
戦後の作曲で
名曲「長崎の鐘」のもととなった
著書の作者・永井隆博士の
長崎市市葬の際に「告別の歌」として
演奏されたものだそうです。


ここに収録された曲のほとんどは
クラシック系の歌手はもとより
ほとんどのアーティストが
現在では手がけないと思われる
ジャンルなのですが
藍川由美は果敢に挑戦するのです。

そこに気骨が感じられて
好きなのですが(笑)


オリジナル譜を
作曲者の意図通りに歌ったものなので
おそらく戦時中の歌手より
上手かろうと思われます。

もっとも歌曲というのは
というより、クラシックというのは
というべきかもしれませんが
オリジナル譜通りだからといって
感動を生むものではないことは
いうまでもありませんが。

おそらくここに収められた曲を
戦時下に実際に耳にした人たちは
違うテイストのものと感じる人も
いるかと思われます。

実際、歌い方が違うという指摘も
あったようです。
でもそれは、いっちゃあれですが
戦時下の歌手が下手だっただけのこと。

それと、当時は軍部などの要請で
悲壮な感じで歌うことが
是とはされなかったと思われます。

そらそうだ、戦意高揚の軍歌なんだから。

それを楽譜通りに
ソプラノ歌手が歌うだけで
悲壮感が増すというのは
何だか不思議な気がします。


だからこのCDは
軍国歌謡集とは別ものなのです。

戦意高揚とか
そういうイデオロギー抜きで
純粋に古関裕而の音楽性を
追求したものと受け取るべきで
まずはそういうスタンスで
聴いてほしいものなのです。


軍歌や戦時歌謡というだけで
脊髄反射で批判する人がいることは
充分予想できることですが
それは余りにも短絡的過ぎる反応です。

ライナーにも書いてありますが
「戦争を絶滅するためには
 われわれ自身が、戦争に纏わる事実を
 しかと見つめ直し、
 多くの犠牲を決して風化させないこと」
なのです。


自分流のいい方をすれば
これは戦時下の民衆の意識を知るための
あるいは、権力者の意識を知るための
といっても構いませんけど、
貴重な資料です。

わたしたちは
こんなものを至極、真面目に
聴いていたのだし
今だって状況が許せば
あるいは状況による同調圧力によって
似たようなものを
簡単に楽しめるのだ
ということを
忘れるべきではないと思いますね。


もちろん、だから聴くべし
といいたいわけではありません。

ここに収められた歌を聴いて
戦争の悲惨さを思い出す人もいるでしょうし
そういう人たちに対して
事実から眼を背けるなというのは
正義正論を笠に着た同調圧力でしかありません。

その一方で、ただメロディーを楽しむ、
カラオケで歌って楽しむというのも
どうかと思いつつ、
聴いて当時を思い出し
辛くなる人の前でなければ
歌っても構わないと思っています。

ああ、このメロディーラインは
戦後のスポーツ系の歌曲で引用されてるとか
(「ラバウル海軍航空隊」のピアノ伴奏譜なんて
 知らずに聴けば
 高校球児の歌だといっても通用します)
そういうことを客観的に愚直に
確認納得すればいいのです。

坂口安吾を気取っていえば
「歌え、歌うな」
というところでしょうか。


このCD、大学院の時に出入りしていた
明治文学研究者である(まさに戦中派の)先生の
ゼミ室でかけたところ
(立派なCDプレイヤーがあったのですw)
いたく気に入られて購入されたというのも
個人的には良い思い出でして
ソプラノで歌われると悲壮な感じがするね
とか話されてました。

おそらく戦中派の先生にとっては
勇壮な感じも欲しかったのだと思いますけど。


ちなみに、いわゆる
「戦争を知らない子供たち」
の一人である自分も
収録された内の何曲かは
なぜか、子どものころに
耳にしたことがあります。

街宣車で聴いた、というわけではなくて
(そういうのもあるかもしれないけど)
やっぱりこのうちの何曲かが
NHKの歌謡番組で流れたのだと思います。

戦時歌謡・軍国歌謡であっても
高度経済成長の一時期には
純粋に音楽として享受されてた
あるいは、懐かしまれていた
ということなのでしょうか。


なお、全曲
ピアノ伴奏のみで歌われています。
これが実にいいのですね。

ピアノ伴奏者が女性だというのも
実にすごいことです。

つまり、オリジナル譜通りであれば
男性が弾こうが女性が弾こうが
音楽性は変わらないということです。

それが音楽というものです。

だからすごいし、だから怖いのです。