昨年の11月に出た本を
ようやく読み終えました。

どんどん、さかのぼってるなー(苦笑)

$圏外の日乘-『おやすみなさい、ホームズさん』
(1990/日暮雅通訳、創元推理文庫、2011.11.25)

『シャーロック・ホームズの冒険』の
冒頭に収録されている
「ボヘミアの醜聞」をベースに、
ホームズに「並はずれた女性と言わしめた
アイリーン・アドラーの側からリライトし
長編化した作品です。

「ボヘミアの醜聞」だけでは
長編を支えるのは難しいので
フランス王家ゆかりの宝石探しや
ボヘミア王暗殺事件といった
オリジナルなエピソードを絡ませて
ひとつの長編に仕上げているのですが。

ちなみに、題名の
「おやすみなさい、ホームズさん」
というのは
「ボヘミアの醜聞」のあるシーンで
アイリーン・アドラーが言う
有名な台詞です。


「ボヘミアの醜聞」は
物語的にいろいろと矛盾というか
奇妙なところがあり、
ミステリとしてみた場合も
トリック的な面白さが弱いと思います。

『ストランド・マガジン』という雑誌に
ホームズ・シリーズが連載された際の
第1話でもあるわけですが
第1話からいきなり失敗する話を載せる
なんてのも、興味深いところです。

それはコナン・ドイルが書いているという
リアリストの視点からの興味深さなので
シャーロキアン関係の本で
その点を奇妙だと書いているものを
管見に入った限りでは
読んだことがありません。


まあ、それはともかく
そういう短編をベースに長編化したのは
アイリーン・アドラーを主人公にするため
でしょうけど
「ボヘミアの醜聞」をベースにした部分
つまり下巻の終りの方は面白いのですが
それ以外の、ワトスン側から見た
「ボヘミアの醜聞」事件に至るまでの話は
散漫というか、
心理的に納得できない箇所が多い感じです。


いちばん納得がいかないのが
語り手であるペネロピー・ハクスリー(ネル)と
アイリーンが初めて出会う場面で
アイリーンがスリに狙われたネルを
助けるのはいいとしても
なぜそのままネルと同居することにしたのか。

袖すり合うも他生の縁
ということかもしれませんが
ネルを気に入った理由なり何なり
書いて欲しいところです。


また、ネルが好きだったある人物をめぐって
アイリーンと三角関係になったのかと思いきや
(自分の勘違いでなければ、そう読めるのですが)
ネルは身を引くというような展開になる。
その辺りの心理が充分に描かれているとは
思えないのですねえ。

以外とサバサバしている。

ベースにした「ボヘミアの醜聞」との関係上
ネルがアイリーンに譲らなければ
全く違う話になってしまうとは思いますが
そうであればこそ、ネルの心境をじっくり書いて
読み手を納得させる必要があるのではないか
と思うのですが……

19世紀を描くのなら
19世紀風のスタイルで書いてくれた方が
自分的には好みかなあ。

作者は、猫ものの
コージー・ミステリの書き手でもあるそうですが
それを聞くと、やっぱりねえ、と
思わずにはいられなかったり。
(偏見入ってます【苦笑】)


なお、アイリーン・アドラーを
ボヘミアに招聘するのは
あのアントニン・ドヴォルザークです。

アイリーンのコントラルトは
ドヴォルザークの歌曲や歌劇にぴったり
という設定になってます。

その他にも、時代ミステリのお約束として
ブラム・ストーカーやら
オスカー・ワイルドやら
有名人が何人か出てきます。

そういう史上の有名人も含めて
特定のキャラクターが
ストーリーに合わせて動くことを楽しむ
映像的な作品が好きな方には
おススメできる作品ではないかと。


ところで、以前
まんが『シャーロッキアン!』の
あるエピソードを読んだとき
「いまはなき(亡き)」アイリーン・アドラー
と訳されていることを知ってびっくりした
と書いたことがありますが
本書のプロローグではいきなり
ホームズがワトスンに
「いまは亡き」と書くのはおかしい
とダメ出ししておりました(藁

本書の冒頭を読むと明らかに
キャロル・ネルソン・ダグラスが
ワトスンは故アイリーン・アドラーと書いた
と判断していることが分かります。

アメリカの作家がそう読むくらいですから
やはり「いまは亡き」と訳すのが
正しいように思われてくるのですが……

だから『シャーロッキアン!』の
某エピソードにおける解釈はダメだ
といいたいわけではなくて
ストーリーが要請する
優れた解釈だと思いますけどね。


アイリーン・アドラーはこの作品の後も
いくつかの長編で活躍しているようです。

それが訳されるのかどうか、分かりませんが。