例によって、4月刊行の本を
ようやく今ごろ読み終わりました。

以前、最初の2~3ページを読んだまま
いろいろと取り紛れて
読みはぐっていたのでした(^^;ゞ

$圏外の日乘-『殺す鳥』
(2006/神林美和訳、創元推理文庫、2012.4.27)

詩人の母親が浴室で死んで発見され
検屍法廷では自殺との評決が下りたものの
納得のいかない娘が調べ始める、
ざっくりとまとめれば、そういう話です。

まあ、さほど、すごい話ではありません。

解説にもある通り
「大向こうを唸らせる派手な作品
というわけではないし、
ミステリ史に名を残すような
先鋭的な作品というわけでもない」です。

だからブログに感想を書くのは
よそうと思ったんですが
ひとつ気づいたことがあるので
書いておくことにしました。

ですから今回の記事は
いわば個人的な備忘録です。

で、そのためには多少なりとも
真相に触れる必要があります。
以下、その前提でお読みください。


とかいいながら
まずは真相とは関係のない話から(藁

母親の死の真相をさぐる娘は
チェリストとして設定されています。

ソリストとしてのデビューをかけた
大きなコンクールを控えて
練習中だったのですが
母親の死のショックからなのか
いつものような実力が出せない。
音楽が自分から
離れていってしまった気がする。

それもあってか、真相探しに
のめり込んでいくのですが
作品中には彼女のレッスン風景や
路上ライブ風景が描かれるほか
クラシックの曲名も
いくつか出てきます。
(一箇所だけロックの
 クイーンの曲が流れる場面もあります)

日本ではチェロの路上ライブって
あまり見聞きしませんけど
(代官山で一回だけ観たことがありますが)
そこらへんは彼我の違いかな
という感じで面白かったですね。

それに関してひとつ気になったのは、
「バッハの『無伴奏チェロのソナタ』の
 正確で澄んだ音色が、
 往来の喧騒や通行人の笑い声や
 おしゃべりの上に響いている」(p.198)
という文章があるのですが、
バッハに
「無伴奏チェロのソナタ」という曲は
ありません。

他の部分では
「無伴奏チェロ組曲」とあるのに
ここだけ、なんでソナタなのか……。

原文がどうなっているのか
知りたいところです。


で、以下、真相に
微妙に触れることになります。
未読の方は、ご注意ください。


この小説、死んだ詩人の夫(元夫)であり
弁護士である男の視点から始まります。
彼は、家庭の事情に絡む殺人事件の弁護は
引き受けないつもりでいたのですが
何の手違いか、そうした案件が
ある朝、机の上に乗っていました。

それは、夫を殺した妻の事件だったわけですが
どうやら被害者はDV夫で
自分を裏切ったら
子供たちを殺して自分も死ぬ
と常々、妻に言っていたらしい。
加害者である妻は子供を守るために夫を殺した
というふうにも解釈できる案件でした。

その案件の裁判の行く末が
ヒロインの調査行と平行して描かれます。

母親の死の真相を探る
というストーリーからすれば
脇筋なわけですが
きっちりと裁判の結果まで描かれており、
その判決の模様は、メインのストーリーが
いったん終了した後に描かれるのです。

今回の『殺す鳥』という話自体は
正直いえば、2時間ドラマか
サスペンス映画によくある
ストーリーだと思うのですが、
上に書いた、脇筋ともいうべき
DV夫殺しのエピソードが意外と利いていて
それが2時間サスペンスの通俗性に堕しない
活字の小説としての面白さに
つながっていると思います。

DV夫殺しの裁判で弁護士が用いた戦略は
弁護士が実の母親に求めていたものを
象徴しているのではないか
と考えるからです。

実際は、弁護士の母親は事なかれ主義というか
自ら家族を守ろうとはせず
いやな現実には眼を向けない
という姿勢しか見せなかったわけですが
そしてそのために家族の一員である
ある人物が(ここはやっぱり伏せときましょうw)
「殺す鳥」になってしまったわけですが
息子としては母親はこうあってほしかった
という思いがあって
それが弁護の戦略になったのではないか。

そう読ませる余地があり、
だから脇筋ともいうべきDV夫殺しは
欠くべからざる要素になっている、
そういうふうに思います。


映像化されたら省略されるような
その脇筋に、ジョアンナ・ハインズの
作家性というべきものが出ている
と考えるわけで、
そこにふれないと
この作品の魅力に
(少なくともその一端に)
ふれたことにはならないと思いますが
ふれるとネタバレにつながるので
だから文庫の解説では
ふれられていないわけです(たぶん)。

ミステリの文庫の解説というのも
つらいもんですね。

そういうハンデをかかえつつ
いかに作品の魅力を伝えるのか
というあたりが
腕の見せ所なんでしょうけれども。


欧米のミステリというのは
(特にイギリスのミステリは、
 といってもいいかと思いますが)
メインのストーリーを語るだけではなくて
こういう引っかかりというか
キャラクターを描くために
プロットの工夫をしているから
「大向こうを唸らせる派手な作品
というわけではないし、
ミステリ史に名を残すような
先鋭的な作品というわけでもない」けど
映画のドラマやノベライズではなく
小説を読んだ、という気に
させてくれるんかなあと
改めて思った次第です。