$圏外の日乘-『歌の翼に』
(祥伝社ノン・ノベル、2003年5月20日発行)

作者名は「すが・ひろえ」と読みます。

作者が付けた副題、なのかな?
カバーや扉、奥付には
「ピアノ教室は謎だらけ」
とありますが、これはない方がいいかも。

もう10年近く前の本で恐縮ですが、
ちょっと必要があって読み返してみたら
すごく良かったので紹介する次第です。

どうやらまだ一度も文庫化されてない様子。
これにもびっくりでした。


有名音楽大学ピアノ科を首席で卒業しながら
地方の(?)商店街にある楽器店のピアノ教室で
子どもたちにピアノを教えている
杉原亮子を謎解き役とした連作ミステリです。

変質者に襲われた生徒が
事件の起きた曜日について嘘をつくのはなぜか、
また、そのとき被害者の生徒がむしり取って
弟に渡したボタンが消えたのはなぜか、
生徒のピアノ演奏の調子がおかしいのはなぜか、
娘に慕われる父親が聞いた幻聴とは何か、
といった謎解き話がありますし、
楽器店の息子の友人の恋の取り持ちをめぐる話や、
楽譜暗号なんていう
最近のミステリでは珍しい題材の話もあります。

いわば〈日常の謎〉スタイルの連作なのですが、
全体を通しての一本の筋として
亮子先生の秘密とは何か、というのがあります。

ピアノ科を首席で卒業したにもかかわらず、
発表会などで生徒に模範演奏を示さず、
ほわほわした、いかにも浮世離れしたお嬢様
という雰囲気をたたえている一方で、
人の心の機微に通じていて、
催眠術などの技術にも詳しい様子。
そして変質者騒ぎに過剰に反応する
といったキャラクターをめぐる謎が
最後に明かされ、
再生するきっかけがもたらされるという
感動的なフィナーレを迎えます。


〈日常の謎〉スタイルの作品や
お嬢様キャラクターが登場する作品は、
名探偵やお嬢様キャラが
いわば記号的に消費されることが多い。
典型的な名探偵やお嬢様であるわけで、
読者のある種の期待を裏切りません。

それに対して本書の杉原亮子は、
謎解きに秀でているのは
自らが人に妬まれたり騙されたり
つけ込まれたりした過去を持ち、
そのため、他人の表情や振る舞い
または騙しのテクニックに
敏感になったからこそだ
という設定になっています。

相手を見た目通りの人だと思う人間は
相手を見下すようになる、
それが相手を騙したり
傷つけたりすることにつながる、という
辛い体験から見出された洞察が
名探偵のような知恵を与えたわけですが、
おまけに亮子の場合、
相手に付け入る隙を与えた自分が悪い
とか思っちゃうキャラとして描かれています。

こういう設定にされると、
亮子の謎解きにただ喝采を送って済ます
というわけには、
なかなかいかないのではないでしょうか。

亮子が記号的なキャラを免れているのは
そのためだと思いますし、
〈日常の謎〉を解く名探偵ものとしては
そこが他の作品とは違うところかなあ、
いかにも〈日常の謎〉ものらしい
ほんわかした話だけに留まらないところかなあ、
と思った次第です。


亮子先生とピアノ教室の子どもたちとのやりとりは
さすがに電子オルガン講師の資格を持つだけあって
(Wikipedia にそう載ってました)
やや理想的に書きすぎのような気はするものの
繊細というか、いい感じでして、
それもまた最終話の感動に関わっていきます。

第2話の「英雄と皇帝」
第6話の「いつか王子様が」(これが楽譜暗号の話)
第7話の「トロイメライ」
(これは、老人ホームの音楽療法の話)なんかは
音楽の素養がないと書けないかなあ
と感じさせる話でした。

題材だけではなく、
全体が〈ボレロ〉みたいな、というより
ソナタ形式みたい、といった方がいいのかなあ、
とにかく音楽的な構成美を
ふまえてるんじゃない、といいたくなるような、
そんなしゃれた作品に
仕上がっているような気がします。

音楽ミステリという惹句が
これほど相応しい連作もないですね。


新書でまだ在庫があるようですが
ぜひ文庫化してほしいところです。おススメ。