
(東京創元社、2011.10.20)
第21回鮎川哲也賞受賞作です。
視点人物(語り手)が
頭痛を伴って目を覚ます場面から始まります。
どうやら何者かに殴られたらしい。
おまけにそのせいで
8年間の記憶を失ってしまいます。
8年前の自分は、高校の演劇部員で
学校から反対されていた劇を
上演しようとしていたはずなのに、
今の自分は同じ学校の女性教師らしい。
ところが意識は8年前のままで……
という冒頭部分を読んで、てっきり
タイム・スリップものかと思いました。
8年前の高校生が、
8年後、何らかの理由で
誰かの意識に飛び込んでしまう
(まあ、8年後の自分でもいいんですが)
という話かなあ、と。
ところがどっこい、本当に殴られて
8年間の記憶をすっ飛ばしただけでした(藁
その間の記憶を取り戻すために
親友に電話しようとしたけど、
ケータイにアドレスが残っていない。
それどころか、別の友人に連絡して、
親友が8年前に自殺したことが分かります。
さらに、自分の日記を読み返すと、
親友は殺された、と書かれていました。
親友はなぜ、誰に殺されたのか。
語り手は、今は探偵事務所に勤めている
かつての同窓生を頼って、調査を始める
というお話です。
ここまでまとめてきて、すでに
展開の不自然さに頭がくらくらしてきましたが、
語り手は短気で大雑把で能天気な性格
というふうに設定されていて、
ユーモア・タッチで語られているため、
勢いで読まされちゃうところがあります。
普通、目を覚まして8年間の記憶がなく、
自分の母校の英語教師をやっている
と気づかされたら、
いろいろと悩んだりすると思うし、
8年前の意識のままで英語教師ができるのか
とも思うんですが、
そこはコミカルな語りで押し切っちゃう(苦笑)
あとはこのコミカルな語りにノレるかどうかで
作品の印象の大半は決まってしまいます。
で、自分的にはですが、
半分くらいしかノレなかったですね。
コミカルさを状況描写で感じさせる
という書き方ができず、
ユーモラスな(と書き手が思っている)語り口で
ごまかされているような気分が
最後まで抜けなかったからです。
日常生活や人間関係に
説得力を与えるための描写が
すっ飛ばし気味であるのみならず、
事件の真相追究のために
誰もが比較的簡単に証言してくれる。
探偵がちょっと調べれば
関係者の8年前のアリバイなんかまで
すぐに確認できる。
まるで2時間サスペンスかなにかを
観せられているようでした。
2時間ドラマとかだとスルーできても、
活字で読まされると
引っかりを覚えてしまいます。
この作品に限りませんが、
映像だと自然に見える省略やリアリティと
小説でのそれとは違うはずなんですが、
ストーリーを追うことに汲々とするためなのか、
映像の表現と同じスタイルで小説を書いちゃう。
それってどうよ、と、いつも思います。
で、語り手が
短気で能天気なキャラであるにも関わらず
最後にああいうシリアスなオチとなると、
説得力もリアリティも
ぜんぜん感じられないわけです。
誤解のないよう書いておくと、
ミステリとしてのプロットは
そこそこ面白かったですよ。
犯人の意外性については
読みなれた人なら
見当がつくのではないかと思いますが、
錯綜した出来事自体は
よく考えられていると思います。
ただ、最後に明らかになった真相を
語り手が引き受けきれていない、
キャラクターの設定とテーマとが
巧く絡み合ってない、という気が
どうしてもされるわけでして。
だから最後の語り手の決意にも
白けてしまうわけです。
もしかしたら作者も、
読み手が白けるように
書いているのかもしれませんが……
ちなみに小説のタイトルは
学園祭で演劇部が上演しようとしている
芝居のタイトルです。
何かを象徴しているわけでもなく
内容との関係は薄いんですが(だと思う)
惹きつけられる巧いタイトルでは
ありますね。
ほんとに眼鏡屋が消える話だったら
面白かったかもしれないなあ( ̄▽ ̄)