コロンボのノベライズが
二見書房から新書で出ていたことは
前にも書きましたが、
そのとき出たのは38冊でした。
(内2作は未映像化)
先に紹介した『黄金のバックル』は
新書の時には訳されておらず、
後に同じ版元から刊行される文庫のシリーズに
テレビ版とはタイトルを変えて
初めて出版されました。
それが今回紹介する『懐かしき殺意』です。

(1976/谷崎晃一訳、二見文庫、1990.1.25)
原題は同じ Old-Fashioned Murder なんですけどね。
『黄金のバックル』で、ルースが
姪のジェニーに疑いを向けようとした理由が
詳しく書いてあるかなあと思って
読んでみたのですが、読んでびっくり。
二人の男が相対死したと見せかけたという
基本的な状況設定は同じなんですが、
人間関係が微妙に異なるし、
ラストも全然違ってました。
ルースが黄金のバックルを使って
罠を仕掛ける相手も違いますが、
そのため、コロンボが
留置場のジェニーを訪ねて
罠を仕掛けて釈放する理由も流れも
きわめて自然なものになってました。
あと、テレビ版と小説版とでは
被害者の一人が持っていた
メモの内容が異なっていて、
テレビ版のメモは
犯人のトリックを暴く手がかりに
直結していて、なかなか良かったのですが、
小説版のメモは
単なるルースの撹乱作戦にすぎず、
それでも贋作問題と絡んで
プロット上重要な役目は果たしますが
ちょっと物足りなかったです。
いちばん驚きなのは、ルースとジェニーの関係。
テレビ版でも、コロンボが留置場で
それらしいことを匂わすのですが、
自分はそれを、婚約者の裏切りが早かった
(ルースと婚約中にすでに浮気していた)
という意味に取ったんですが……
ルースとジェニーが小説版のような関係だと
ジェニーに疑いを向けるような行動は不自然なので
ダヴィットジアクの批判も分からなくはないです。
小説版の訳者あとがきに、この作品は
「もとはコロンボ・シリーズのなかの
長編として書かれた作品」だったけれども、
「放映時間の制限で短縮されて」しまった
と書いてあります。
長編というのは、通常の90分に対する
いわゆる120分バージョンのことでしょうが、
確かにルースの扱いなどに
短縮化による問題が見られる気がします。
ただ、小説版を読むと、
テレビで見られたようなラストの交感はなく、
例によって犯人に罠をかけるパターンの
典型的ないつものコロンボという感じがされ、
(ただしこのラストなら
『黄金のバックル』という邦題がしっくりきます)
犯人の心情はより説得的に描かれていますが
やや凡庸な感じがするのは否めません。
多少破綻があっても
ラスト・シーンの秀逸さで
テレビ版の方に軍配を上げたくなりますね。
小説版にはコロンボの飼い犬ドッグ
(ドッグという名前w)も登場し
ある重要な手がかりに気づかせます。
この手がかりは実に自然で秀逸なアイデアで
テレビの方にも残っていますが
コロンボが単独で気づくことになってます。
ドッグ・ファンなら
小説版の映像を観たかったって
いいたいとこでしょうかね(藁
なお、小説版と放映版とで内容が異なるのは
小説版が向こうから送られたスクリプトを基に
書き起こされているからで、
(アメリカののヴェライズ本を
訳しているわけではないのです)
そのスクリプトは最終版というわけでもなく、
映像が完成するまでに
さらに何回か書き変えられるから
という事情によります。
ダヴィッドジアクの
『刑事コロンボの秘密』には、
博物館の館長が女性ではなかった
最初のプロットが紹介されていますが、
それを考えると小説版は
もともとのプロットを
放送用に変えたスクリプトの
いちばん古いバージョンを
基にしているのかもしれません。
日本の小説版はすべて、作者として
ウィリアム・リンクとリチャード・レヴィンソンが
クレジットされてますけど、
これはいわゆる原作者、キャラクターを創った
オリジナル・クリエイターに相当し、
脚本自体は別人が書いています。
今回の作品のように、誰かのプロットを
別の人間がブラッシュ・アップする
という場合もあるわけでして、
その意味ではコロンボ・シリーズの場合、
単独作者はいないということになります。
ファンには釈迦に説法でしょうけど、参考までに。
二見書房から新書で出ていたことは
前にも書きましたが、
そのとき出たのは38冊でした。
(内2作は未映像化)
先に紹介した『黄金のバックル』は
新書の時には訳されておらず、
後に同じ版元から刊行される文庫のシリーズに
テレビ版とはタイトルを変えて
初めて出版されました。
それが今回紹介する『懐かしき殺意』です。

(1976/谷崎晃一訳、二見文庫、1990.1.25)
原題は同じ Old-Fashioned Murder なんですけどね。
『黄金のバックル』で、ルースが
姪のジェニーに疑いを向けようとした理由が
詳しく書いてあるかなあと思って
読んでみたのですが、読んでびっくり。
二人の男が相対死したと見せかけたという
基本的な状況設定は同じなんですが、
人間関係が微妙に異なるし、
ラストも全然違ってました。
ルースが黄金のバックルを使って
罠を仕掛ける相手も違いますが、
そのため、コロンボが
留置場のジェニーを訪ねて
罠を仕掛けて釈放する理由も流れも
きわめて自然なものになってました。
あと、テレビ版と小説版とでは
被害者の一人が持っていた
メモの内容が異なっていて、
テレビ版のメモは
犯人のトリックを暴く手がかりに
直結していて、なかなか良かったのですが、
小説版のメモは
単なるルースの撹乱作戦にすぎず、
それでも贋作問題と絡んで
プロット上重要な役目は果たしますが
ちょっと物足りなかったです。
いちばん驚きなのは、ルースとジェニーの関係。
テレビ版でも、コロンボが留置場で
それらしいことを匂わすのですが、
自分はそれを、婚約者の裏切りが早かった
(ルースと婚約中にすでに浮気していた)
という意味に取ったんですが……
ルースとジェニーが小説版のような関係だと
ジェニーに疑いを向けるような行動は不自然なので
ダヴィットジアクの批判も分からなくはないです。
小説版の訳者あとがきに、この作品は
「もとはコロンボ・シリーズのなかの
長編として書かれた作品」だったけれども、
「放映時間の制限で短縮されて」しまった
と書いてあります。
長編というのは、通常の90分に対する
いわゆる120分バージョンのことでしょうが、
確かにルースの扱いなどに
短縮化による問題が見られる気がします。
ただ、小説版を読むと、
テレビで見られたようなラストの交感はなく、
例によって犯人に罠をかけるパターンの
典型的ないつものコロンボという感じがされ、
(ただしこのラストなら
『黄金のバックル』という邦題がしっくりきます)
犯人の心情はより説得的に描かれていますが
やや凡庸な感じがするのは否めません。
多少破綻があっても
ラスト・シーンの秀逸さで
テレビ版の方に軍配を上げたくなりますね。
小説版にはコロンボの飼い犬ドッグ
(ドッグという名前w)も登場し
ある重要な手がかりに気づかせます。
この手がかりは実に自然で秀逸なアイデアで
テレビの方にも残っていますが
コロンボが単独で気づくことになってます。
ドッグ・ファンなら
小説版の映像を観たかったって
いいたいとこでしょうかね(藁
なお、小説版と放映版とで内容が異なるのは
小説版が向こうから送られたスクリプトを基に
書き起こされているからで、
(アメリカののヴェライズ本を
訳しているわけではないのです)
そのスクリプトは最終版というわけでもなく、
映像が完成するまでに
さらに何回か書き変えられるから
という事情によります。
ダヴィッドジアクの
『刑事コロンボの秘密』には、
博物館の館長が女性ではなかった
最初のプロットが紹介されていますが、
それを考えると小説版は
もともとのプロットを
放送用に変えたスクリプトの
いちばん古いバージョンを
基にしているのかもしれません。
日本の小説版はすべて、作者として
ウィリアム・リンクとリチャード・レヴィンソンが
クレジットされてますけど、
これはいわゆる原作者、キャラクターを創った
オリジナル・クリエイターに相当し、
脚本自体は別人が書いています。
今回の作品のように、誰かのプロットを
別の人間がブラッシュ・アップする
という場合もあるわけでして、
その意味ではコロンボ・シリーズの場合、
単独作者はいないということになります。
ファンには釈迦に説法でしょうけど、参考までに。