なんか歴史ミステリが続きますが、
それだけ新刊で多いということですね。
(と、今さらながら気づいております【^^ゞ )

$圏外の日乘-『死をもちて赦されん』
(1994/甲斐萬里江訳、創元推理文庫、2011.1.28)

時に西暦664年。
ローマ派カトリックと
アイルランド派カトリックとの、
イギリスはノーサンブリア王国
(現在のイングランドの最北部
 ノーサンバーランドに当たる地)における
布教の覇権を賭けた
ウィトビア教会会議が
開かれることになりました。

その教会会議が開催される
ノーサンブリア王国内の修道院で、
アイルランド派の論陣の
口火を切る予定だった修道女が、
何者かによって殺害される
という事件が起きます。

被害者の友人であり、
アイルランドでは
ドーリー(法廷弁護士)の資格を持つ
修道女フィデルマが、
ノーサンブリア国王の命を受けて
事件の解決にあたる、というお話です。


先に紹介した
アリアナ・フランクリンの
女医アデリア・シリーズよりも
さらに古い時代のイギリスを舞台とする
歴史ミステリですが、
本来このシリーズは
アイルランドをメイン舞台としています。

これまで、長編第3~5作と
短編集が訳されているこのシリーズの
長編第1作にあたる本作品は、当時のイギリスを、
そして第2作は当時のローマを舞台としており、
神学的論争を背景とするので、
紹介が後回しとなっていたとのことです。

当時、アイルランドは、
現在のイギリスに当たるブリテン島よりも
文化が進んでいたようです。
能力ある女性が差別されることなく、
その当時なりの科学が進んでおり、
法も整備されていて、
現在の法廷弁護士に当たる役職があり、
その権威はアイルランド国王にも
匹敵するほどだったそうです。

したがって探偵役のフィデルマは
アイルランドにおいてこそ
絶対的な権力を有する捜査官なわけですが、
イギリスでは、王の命がなければ
真実を追究することもできません。
その上、サクソン人たちの間には
女性蔑視のマッチョイズムが横溢していて、
フィデルマの捜査を苦々しく思う輩もいます。

そんな中で、アイルランドで教育を受けた
ローマ派カトリックのサクソン人と
共同捜査を行なわなければいけない
フィデルマなわけですが、
彼女は後年のアデリア女医に比べれば
よほど理性的で、
シャーロック・ホームズ並みの
知的な捜査を展開してくれます。

おまけに最後には、
関係者を集めての謎解き場面まであって、
ちゃんとした論証を経て犯人を指摘するのです。


物語の上でも、きちんと伏線が張られており、
あまりきちんと張られているので、
読みなれた読者なら犯人の見当がつくでしょう。
(動機の伏線まで張ってあります)

自分も、ある伏線に気づいたのと、
いちばん意外な犯人は、という
読者のアンフェアとで、
犯人のあたりがつきました(^^;ゞ

ただ、フィデルマの
真実を突き止めるためには
手続きをゆるがせにしない姿勢と、
真実が明らかになるまでは
偏見を持たないようにする姿勢とが、
読んでいて気持ちいいのですね。

この気持ち良さこそ、
良質の謎ときミステリの気持ちよさです。

歴史ミステリであると現代ものであるとを問わず
憶断と偏見とで謎を解くミステリが多い中、
知性と理性に従おうとする姿勢を示し、
手続きを怠らないというありかたは、
出色であろうと思います。

だから、犯人の見当がついても
読み続けられるわけです。

少なくとも、自分にとっては、そう。


西暦664年という
想像もできないような昔の話ですが、
(日本では天智天皇治世下です)
この当時、イギリス人は
マッチョなアホばっかだったことも分かって、
(日蝕すら知らないって……)
自分としては、それすらも面白い(藁

神学的な論争も絡み、
おまけに日本人には馴染みのない
布教史上の人物の名前がバンバン出てきます。

なんか読みにくそうな印象を受けるかもしれませんが、
これは個人的に超おススメのシリーズです。

いやしくも歴史「ミステリ」と称するのであれば、
感情過多な女性主人公を登場させて
読者の気を惹くのではなく、
この程度のプロットというか、
謎ときの手続きを押さえてほしいものです。