
(2006/横山啓明訳、ハヤカワ・ミステリ、2010.12.15)
ジョージ・P・ペレケーノスは
デビュー作の『硝煙に消える』(1992)を
読んだくらいで、
青春小説としてはともかく
ミステリとしては今イチだなあ
と思ったこともあって、
ずーっと読まずにきた作家です。
(それ以降も買ってはいるし、
何度か読もうとしたのですが【^^;ゞ)
これまでハヤカワ・ミステリ文庫で
刊行されてきた作家が、
ミドルネームのイニシャル(P)を取り去って
ハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)で刊行されたし、
シリーズものでもないようだし、ということで
久しぶりに読んでみました。
そしたら、うーん、ペレケーノス、
ものすごく良くなってました。
(上から目線ですんません【^^ゞ)
1985年、ワシントン、
ティーンエイジ(中学生くらい)の
少年少女を殺す連続殺人犯が
話題となっていました。
被害者の名前がすべて
回文になっていたことから、
(Otto のように、
前から読んでも後から読んでも
同じ綴りになる名前なのでした)
回文殺人事件と名付けられたのですが、
3人目の被害者を出した後、
犯行はぱったりと止まってしまいます。
それから20年後の2005年、
やはり回文の名前を持つ
少年の死体が発見されます。
20年前には野心のない巡査で、
今では、ワシントン市警
暴力犯罪班の巡査部長になった
ガス・ラモーンにとって、
被害者は息子の友人でもありました。
今回の事件は20年前の事件の復活なのか
という謎をはらみつつ、
ラモーンの視点を中心に
物語が進んでいきます。
ラモーンの視点からの物語の他に、
20年前はラモーンの同僚で、
不祥事を起こして警察を辞めた今では
VIPの運転代行サービスを生業とする
ダン・ホリデーの視点からの物語や、
(ホリデーは死体の発見者でもありました)
20年前に捜査の指揮をとっていた老刑事クック、
現在のワシントンで名を挙げようとする
若い犯罪者の視点からの物語が絡み、
それぞれの視点の物語が
最後に深い感動を呼び起こすプロットに
仕上げられています。
ミステリとしては、
現代の事件が20年前の事件の再来なのか
ということがポイントになるのでしょうが、
小説としては、
リベラルになったとはいえ
まだまだ様々な差別が残る現代社会の中で
子どもを育てていくこと
子どもを守ることの難しさ、ということが
モチーフになって書かれているように思います。
ですから、ラモーンとその家族、
特に息子のディエゴをめぐる物語は
時にユーモアを交えつつ、
非常に丁寧に、繊細に
描かれているように思います。
ラモーンの家族だけでなく、
ここに見られるのは
様々な家族のありようであり、
どんなに大変な社会でも
家族の絆が大切だという
作者の信念のようなものを感じさせます。
そして、家族だけでなく、
家族のいないシングルの男たち、
ホリデーやクックのありよう、
殊にホリデーとラモーンの関係や
ホリデーとクックの関係に見られる
男たちの紐帯のようなものが、
嫌味なく描かれていて、
最後は深い感動に包まれました。
深い感動、深い感動と
繰り返すのは芸がないと思うものの、
この作品については、
単線の物語のみ感動を覚えさせるのではなく、
1985年の事件の現場に
たまたま一緒にいたキャラそれぞれに
見事な、あるいは綺麗なラストがくるので、
そう書かざるを得ないのです。
2005年の事件の真相も、いろんな意味で
とても切ないです。
ポケミスの裏表紙には
「ミステリ界の巨匠」と紹介されていて、
『硝煙に消える』しか読んでいない自分は、
いつの間に「巨匠」になったんだ、と
思わず苦笑しちゃいましたが、
本作品を読み終えて、
「巨匠」と呼ばれるのも伊達ではないと
印象を新たにしました。
これまで未読だった翻訳を読む時間や機会が
今後あるかどうか分かりませんが、
少なくともこれから訳される作品には
注目していきたいと思った次第です。