$圏外の日乘-ツーリスト
(2009/村上博基訳、ハヤカワ文庫NV、2010.8.25)

世の中には、読み終わると
これは誉めるのが妥当だろうなあ、
あるいは、誉めても問題ないだろうなあ
と思わしむる本というものがあります。

もっといえば、自分が言葉を尽くさなくても
みんな面白いと思うんでしょ、というような本です。

皮肉に聞こえるかもしれませんが、
『ツーリスト』を読み終わって思ったのは
そういうことでした。

まあ、本が出た時じゃなくて、
今ごろ読んだということも影響してますが(^^;ゞ

「ツーリスト」というのは
CIAの「影の工作員」を指します。
海外勤務に従事する現場工作員のことです。

6年前にヴェネツィアで任務の途上で被弾した
ミロ・ウィーヴァーは、
現在はアメリカ国内の内勤で
タイガーという殺し屋を追っていました。

ある日、タイガーが捕縛されたという情報が入り、
田舎の保安官事務所まで赴いたミロは、
タイガーから意外な事実を知らされます。

その上、ミロが尋問した後、
タイガーが死んでしまい、
その殺人の嫌疑がミロに降り掛かってきます。

タイガーを追いつめたのは
殺しの依頼人だと考えたミロは、
謎の依頼人の正体を突き止めんと
調査を開始するのですが……

物語自体は6年前の、
ヴェネツィアでの任務の顛末から
語られるのですが、
メインとなるストーリーは
ミロにタイガー殺しの容疑がかけられ、
CIAや国家安全保障局から追われる
というものです。

ツーリストの現場から離れて久しいミロは、
ついには切羽詰まって、
ある禁じ手(?)を使って逆転に転じようとする、
というプロット自体は
『ぼくを忘れたスパイ』と同じですね。

まあ、殺人を扱ったミステリ自体、
事件→捜査→解決、というプロットを
使い回しているわけですから、
巨大組織に追われる個人が最後に逆転する
というのも、お約束なのでしょう。

問題は、プロットに対して
どういう細部を肉付けするかで決まるわけで、
その細部に関して、最初に書いたように
誉めるのが妥当だろうなあ、と感じさせるわけです。

仮に書評めいたものを書くとしたら、
6年前に燃え尽き症候群にかかって
自殺衝動にとらわれていたミロを
現代のサラリーマンと重ねるとか、
6年前の任務を通して出会い、
生まれた家族が心の支えとなっているところとか、
ミロが身分を変えて失踪しようとした時、
一緒に逃げようと妻に言う場面をふまえて、
男と女の論理の違いがよく書けてるとか、
あとはまあ、父と息子の紐帯が
『ぼくを忘れたスパイ』よりは
深みを持って描かれていて、
やっぱり女性は夫や息子を顧みない存在として、
いってみれば他者として描かれているとか、
まあ、そうしたことを、
うだうだと書くと思います(苦笑)

割と男性目線で読めるようになっている
小説なんですよね。

誤解のないようにいっとくと、
『ぼくを忘れたスパイ』も
男性目線の小説です。
(というか、男の子目線かな【藁】)

『ぼくを忘れたスパイ』の
能天気な展開に比べれば、
こちらはシリアス・スパイものの王道
ともいえそうな話であって、
最後の最後でのミロの述懐には
ジョン・ル・カレ風な雰囲気がないとはいえません。

組織に所属する男性の心を打つでしょう。

『ぼくを忘れたスパイ』より出来がいいと
軍配を上げたくなりますし、
上げるのが妥当だろうなあと思います。

そういう意味では
こちらの方が、おススメ。

でも、どこか鼻につくような気がするのは、
自分がこのジャンルに対して思い入れがないから
というより、やっぱり
組織に所属する自分や家族を持つ自分を
想像できず、思い入れがないから
でしょうか???


ところでちなみに、副題の
「沈みゆく帝国のスパイ」というのは
日本語訳オリジナルの副題ですが、
「沈みゆく帝国」というのは、
やっぱりアメリカのことなんでしょうかね???