$圏外の日乘-ジャンヌ・ダルク裁判
(紀伊國屋書店 KKDS-417、2008)

ジャンヌ・ダルクの異端審問裁判の記録を基に、
裁判の信仰から火刑までを描いたフランス映画です。

監督はロベール・ブレッソン。
制作は1961年で、翌年パリで公開されました。
日本公開は1969(昭和44)年。

尺は62分と短いので、あっという間に終わります。
とはいっても、ジャンヌ裁判の背景を知らないと、
退屈かもしれませんね。
(おまけにモノクロ、モノラル映画だし)

バーグマンの『ジャンヌ・ダーク』と比較すると、
やはりあちらは娯楽映画として作られているな
という感じがします。
前にも書いた通り、
法廷ものミステリのような躍動感を
覚えるからですが、
ブレッソンの映画は淡々と進みます。

もともとブレッソンは、
余計なものをそぎ落とした
禁欲的な作風で知られる監督のようで、
この映画でも裁判記録に基づいた言葉だけを
伝えようと意図したようです。

ジャンヌ役のフロランス・カレーズは当時20歳。
後に小説家となるだけあって、知的なイメージ。
背も高いし、田舎の羊飼いの娘には見えませんが、
もともと監督の意図としては
知的な若い女性というイメージを
出したかったようですね。

異端審問の場で、一歩も辞せず、
司教たちとやり合うわけですから、
知的でないはずはないんですけどね。

面白いのは、ジャンヌの牢獄の壁に
覗き穴があけられていて、
イギリス人のウォリック伯や
裁判の判事を務めたコーションらが
そこから覗く眼が撮られていること。

監視すること、あるいは
監視されていることの寓意
ということなのでしょうが、同時に
映画を観ている観客の眼の寓意でも
あるんでしょうか。

ジャンヌを監視する(監禁する)
いいかえればジャンヌを理解せず、
孤立させる周囲(=大衆)の位置へと
観客を追いやっている、
つまり観客はジャンヌに敵対する者の
共犯者である
ということになるわけでしょうか。

映画の文法はよくは分かりませんが、
そんなことを考えたりもしました。

紀伊國屋書店のDVDは
いつもブックレットが充実して
読み応えがあるんですが、
このDVDのは32ページもあります。

当時のテレビで放映された
(あるいは放映される予定だった)
監督インタビューなども収録されていて、
特典映像も充実しています。

ジャンヌを演じたフロランス・ドゥレ
(これが本名。カレーズは母方の姓)が
ほぼ40年後に撮影の思い出を語る
カラー映像も収められていますが、
『オリエント急行殺人事件』
ジャクリーン・ビセットよりも
きれいな年のとり方をしている感じです。

ま、余計なお世話でしょうが(^^ゞ