
(2008/村松潔訳、文春文庫、2010.4.10)
ディーヴァーと並んでお気に入り作家のクック、
今年の新刊です。
翻訳が出た時、読んでるんですが、
必要があって再読しました。
1954年のアメリカ南部の
地方都市の高校に勤める
ジャック・ブランチは、
「悪」について、というテーマで
特別授業を行なってました。
ジャック・ザ・リッパーからセイラムの魔女、
「メデューズ号の筏」事件、
シェイクスピアの『オセロー』に出てくるイアーゴーなど
さまざまな「悪」を取り上げ、
生徒に考えさせる、という授業です。
まず、こうした授業をやれる
ということ自体がすごいんですが、
それはともかく
ある日、クラスの美少女が失踪する事件が起き、
ジャックはたまたま少女が乗った、
そして連れ去られるワゴン車を目撃したと思い、
警察に通報するのですが、
そのため同じクラスのエディ・ミラーに
少女誘拐の疑いがかけられてしまう。
実はエディの父親は十数年前、
愛人の女子高生を殺した罪で逮捕され、
同房の留置人に殺されていたのでした。
殺人犯の息子ということで
差別的な扱いを受けていたと思しい
エディと関わりを持ったジャックは、
自分の教育によってエディを
父親の陰から抜け出させようとする。
そのため、父親についてのレポートを書くように
エディに勧め、指導を始めるのでした。
そのことが或る悲劇を導くことになります。
その悲劇については、最初は
裁判記録などの引用で臭わされるだけで、
実際は何が起きたのかは分からないまま
話が進むのですが、
語り口の妙もあって次第次第に
緊張感が高まっていくあたりの
書きっぷりは見事です。
時間軸に沿って話が進むわけではなく、
全ての悲劇が終わった時点から過去を回想する
というジャックの視点から、
映画のカットバックのように話が前後します。
読みにくいと感じる人もいるかもしれませんが……。
悲劇があって後の、
成人した生徒たちのその後も描かれるので、
ノスタルジックな雰囲気もあり、また
人生の無常なんてものも感じさせます。
整然としたプロットは
まるでギリシャ悲劇か
シェイクスピアを悲劇を思わせるものがあり、
最後の最後にとんでもない、
こうきたかー、と思わせるような、
哀しみに満ちた、ある意味厳しい結末が待っています。
暗いと思う人もいるかもしれないなあ。
暗い話というより、
自分というものが空っぽだったことに気づかされる、
傲慢で愚かしい、心の弱い人間を描いた
哀しい話なんですが……。