おことわり:今回はスタイルを変えておおくりします。
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添削を修正した個所のホワイトが乾く間に、川上弘美のエッセイ集『あるようなないような』をぱらぱらと拾い読みしていたら、「私の一冊 夏目漱石『文鳥』」という文章がありました。

「漱石のものは三冊ほどすぐに浮かんだが、中で一つと言われるなら『夢十夜』かと思っていた」が、「同じ本に載っている「文鳥」をついでのように読みかけて、これはまたなんていいものなのかと驚いた」と書いてあるのを読んで、そういえばうちにもあったなあと探してみました。
こういうことを思いついてしまうから、なかなか仕事が進まないんですけどね。
探してみたら、二冊出てきました。角川文庫版の『文鳥・夢十夜・永日小品』と新潮文庫版の『文鳥・夢十夜』です。

川上弘美が読んだのはどっちだろうなあと思って目次を見ている内に、角川文庫版では本文に入る前に、漱石の小品集『四篇』の表紙絵が載っていて、なるほど「文鳥」と「夢十夜」と「永日小品」が同時に収録されるのは、この初版本によるわけか、と今さらながらに気づいたり。
ただ、その『四篇』に収められたもうひとつ「満韓ところどころ」は、どちらの文庫本にも入っていない。ははあ、これはやはり、戦後の世情を考えて入れなかったんかねえ、とか思いながら、新潮文庫版の目次を見直している内に、「変な音」という題名が気になってきました。
昔、読んでいるはずなんです。こう見えても、漱石の小説は新潮文庫版で読み倒していますから。でも「変な音」という作品の内容は覚えていない。それで、ちょっと読んでみることに。
出だしが素晴しい。
「うとうとしたと思ううちに目が覚た。すると、隣の室[へや]で妙な音がする。」
この音を聞いた語り手は「何でも山葵卸[わさびおろ]しで大根[だいこ]かなにかをごそごそ擦っているに違[ちがい]ない」と思う。ここでもう、ぎゅっとつかまれてしまいました。何の音なのか。これってミステリじゃん、日常の謎だよ! とか思ったわけです。
でも、もちろん、いわゆるミステリではありません。「山葵卸し」で何を擦っていたのか、ちょっと意外なものでしたけど、まあミステリというほどのものでもない。さくっと読めたので(短いんである)、その勢いで次に入っている「手紙」も読むことにしました。
こちらも出だしが素晴しい。モーパッサンとマルセル・プレヴォーというフランスの小説家が、両方とも、泊った宿の部屋の家具の抽出しから手紙を発見して、それをそのまま紹介するという短編を書いている、ということを語り手が紹介してから、自分も似たような経験をしたことがあると話し始めて、その経験の顛末を物語る。
ミステリでも手紙や手記を発見して奇譚を語るというスタイルがあるので、もしかしてこれは、と思いましたが(またかいな)、まあ普通に、世話をしている青年の縁談に絡む話でした。でも、これがまた面白い。
「変な音」は病院が舞台で、何となく生死の問題が絡んできて辛気臭いところもありましたけど、「手紙」の方はとぼけた味わいがあって、実によろしい。最後の一言も決まっている。見事でした。
なぜこれほどの作品を覚えてなかったんですかねえ。
川上弘美のエッセイから思いついて、たどり着いたこの二編、久しぶりに(たぶん)読んで、しごく得した気分になりました。
ちなみに、川上弘美が手に取ったのは、おそらく新潮文庫版ではないでしょうか。なにしろ、今紹介した二編が入ってるし、一般的に新潮文庫版の方が流通してるっぽい。(何の根拠にもなってませんが。文庫ならあと、講談社文庫版があるし、そもそも文庫とは限らないわけだし……)
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添削を修正した個所のホワイトが乾く間に、川上弘美のエッセイ集『あるようなないような』をぱらぱらと拾い読みしていたら、「私の一冊 夏目漱石『文鳥』」という文章がありました。

「漱石のものは三冊ほどすぐに浮かんだが、中で一つと言われるなら『夢十夜』かと思っていた」が、「同じ本に載っている「文鳥」をついでのように読みかけて、これはまたなんていいものなのかと驚いた」と書いてあるのを読んで、そういえばうちにもあったなあと探してみました。
こういうことを思いついてしまうから、なかなか仕事が進まないんですけどね。
探してみたら、二冊出てきました。角川文庫版の『文鳥・夢十夜・永日小品』と新潮文庫版の『文鳥・夢十夜』です。

川上弘美が読んだのはどっちだろうなあと思って目次を見ている内に、角川文庫版では本文に入る前に、漱石の小品集『四篇』の表紙絵が載っていて、なるほど「文鳥」と「夢十夜」と「永日小品」が同時に収録されるのは、この初版本によるわけか、と今さらながらに気づいたり。
ただ、その『四篇』に収められたもうひとつ「満韓ところどころ」は、どちらの文庫本にも入っていない。ははあ、これはやはり、戦後の世情を考えて入れなかったんかねえ、とか思いながら、新潮文庫版の目次を見直している内に、「変な音」という題名が気になってきました。
昔、読んでいるはずなんです。こう見えても、漱石の小説は新潮文庫版で読み倒していますから。でも「変な音」という作品の内容は覚えていない。それで、ちょっと読んでみることに。
出だしが素晴しい。
「うとうとしたと思ううちに目が覚た。すると、隣の室[へや]で妙な音がする。」
この音を聞いた語り手は「何でも山葵卸[わさびおろ]しで大根[だいこ]かなにかをごそごそ擦っているに違[ちがい]ない」と思う。ここでもう、ぎゅっとつかまれてしまいました。何の音なのか。これってミステリじゃん、日常の謎だよ! とか思ったわけです。
でも、もちろん、いわゆるミステリではありません。「山葵卸し」で何を擦っていたのか、ちょっと意外なものでしたけど、まあミステリというほどのものでもない。さくっと読めたので(短いんである)、その勢いで次に入っている「手紙」も読むことにしました。
こちらも出だしが素晴しい。モーパッサンとマルセル・プレヴォーというフランスの小説家が、両方とも、泊った宿の部屋の家具の抽出しから手紙を発見して、それをそのまま紹介するという短編を書いている、ということを語り手が紹介してから、自分も似たような経験をしたことがあると話し始めて、その経験の顛末を物語る。
ミステリでも手紙や手記を発見して奇譚を語るというスタイルがあるので、もしかしてこれは、と思いましたが(またかいな)、まあ普通に、世話をしている青年の縁談に絡む話でした。でも、これがまた面白い。
「変な音」は病院が舞台で、何となく生死の問題が絡んできて辛気臭いところもありましたけど、「手紙」の方はとぼけた味わいがあって、実によろしい。最後の一言も決まっている。見事でした。
なぜこれほどの作品を覚えてなかったんですかねえ。
川上弘美のエッセイから思いついて、たどり着いたこの二編、久しぶりに(たぶん)読んで、しごく得した気分になりました。
ちなみに、川上弘美が手に取ったのは、おそらく新潮文庫版ではないでしょうか。なにしろ、今紹介した二編が入ってるし、一般的に新潮文庫版の方が流通してるっぽい。(何の根拠にもなってませんが。文庫ならあと、講談社文庫版があるし、そもそも文庫とは限らないわけだし……)