↑いまさっき読み終わった本

 

 李鴻章とは・・・・・19世紀中国は清代の大物政治家である。太平天国の乱鎮圧の功績を認められ、洋務運動を推進した。洋務運動とは西洋(ヨーロッパ)の技術や知識を取り入れることをめざした近代化政策である。これにより一定程度、富国強兵が進み、清朝の軍事力は強化された・・・・・。しかしながら、この改革は中体西用(中国の伝統を大事にして、西洋の技術のみ用いる)の枠内で進められたため、皇帝独裁の政治体制や社会の仕組みが変わることはなかった。

 李鴻章は自身が行っている改革が必ずしも上手くいっていないこと、そして同時代の日本のほうがよっぽど上手くいっていることが分かっていたようである。日本のように抜本的な改革を実施したいものの、頭の固い保守派の反対にあって実施できない。ストレスがたまることも多かったようで、昔の同僚に感情的な手紙を送りつけている。以下、本からの抜粋である。

 

 

 

>総合的に考えて、西洋の学問は中華の学問に勝る。どうしてその道を開いてはいけないのか。もう夷人(外国人)が内地に入り北京に駐在しているというのに、まだ夷華の防などと騒ぎ立てるのなら、さだめし、「夷を用いる」下策によらない攘夷の秘策があるのだろう。ぜひお聞かせいただきたい。

 

>わたしが洋務を好んで聞いたり話したりするので、危険に陥ったり誹謗を受けたりするのだ、とおっしゃるが、今日であればこそ、好んで語るのである。この御代に、みな議論を恐れ厭うているがために、狼狽でなければ無謀、往々にして国を誤るのだ。あなたがたが語りたがらないのはよいが、わたしにしてやはり語らないのであれば、天下はどうやって支えてゆけばよいのか。中国は日々弱く、外国は日々驕る。これは一人一事の責任ではない。今後、自強できればなんとか自立できようが、自強できなければ、どうなるか知れたものではない。・・・・・自強するならば、まず制度をあらため人材を用いなければならない。現在の人材と制度で、どうやって自強できるのか。強くなれない原因を責めずして、因循姑息がダメというだけ。それが書生・俗吏の口から出るならまだしも、あなたの口から出ては、迂遠で事情に通じないといわれても、いたしかたあるまい。

 

 

 

 

 ・・・・・。李鴻章のやるせなさや怒りが伝わってくる内容である。その後、結局清朝は日清戦争(1894年)に敗れ、変法自強運動(1898年)も失敗に終わった。さらには、ヨーロッパ列強、日本からなる8か国連合軍が首都・北京を占領する義和団事件がおこる。なんと、事件の処理を任されたのは、御年79歳を数えていた李鴻章であった。精も根も尽き果てた李鴻章は、ついに死を迎えることになった。

 

 なんというか。

 

 とても。

 

 かわいそうである。