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 この本の一節に匈奴の冒頓単于のことが書かれていた。興味深いので以下に引用する。

 

 

>匈奴の単于、すなわち王は頭曼といった。・・・・・その子が、冒頓であった。ところが、後添いの閼氏(あつし)(匈奴王の妻の称号)が、すえの子を生んだ。単于の頭曼は、冒頓を廃嫡して、愛する閼氏(あつし)のおさな子をたてようとした。そこで、冒頓を月氏のもとに、人質としてゆかせた。そのうえで、頭曼は月氏を急襲した。もとより、月氏に冒頓を殺させるためである。

 

>・・・・・冒頓は、そこで鳴鏑、すなわち音声を発してとぶ鏑矢をつくり、あらたにひきいることになった万騎に騎乗からの一斉射撃を訓練させた。「鳴鏑が射かけるものを射つくさない者は、斬刑に処す」と発令したのである。

 

>まず、軍事演習として鳥獣の狩猟をおこない、鳴鏑が射たものを射ない者は、かたはしから斬刑とした。ややあって、冒頓は、鳴鏑でもってみずから自分の善馬を射た。左右の者でも射撃をためらう者がいたら、冒頓はたちどろこに斬刑とした。しばらくあって、また鳴鏑で手づから自分の愛妻を射た。左右の者のうちで、ひどくためらい射ようとしない者がいた。冒頓は、またもふたたび斬刑とした。しばらくあって、冒頓は出猟し、鳴鏑で頭曼単于の善馬を射た。左右も、みな射た。かくして、冒頓は、その左右がみな使えることがわかった。

 

>冒頓は、父の単于、頭曼に扈従(こじゅう)して狩猟にでかけ、鳴鏑で頭曼を射た。冒頓の左右の者もまた、みな鳴鏑のままに頭曼単于を射殺した(つまり、頭曼の全身には、ハリネズミのように矢がつきささったことになる)。そのまま冒頓は、まま母と弟、そして大臣のうち服従しない者をことごとく誅戮(ちゅうりく)し、自分で単于の位についた。・・・・・

 

 

 ・・・・・。以上の話は、実は司馬遷の『史記』に載っている。授業動画のなかで私も話をしている。対面授業でも話をしたのだが・・・・・みなさん、覚えておいでだろうか???この話を知った私は、単純に「うげー・・・・・。残酷な話だなぁ・・・・・。」と思っただけであったが、杉山正明先生はまったく別の解釈をなさったようである。以下、さらに引用。

 

 

>・・・・・冒頓の意思のままに、条件反射で動く、「万騎」たちは、たしかにとてつもなく統制のとれた精強な機動軍団に変じていた。逆にいえば、それまでの匈奴においては、かならずしも組織立った軍隊行動はとれていなかったことを物語る。冒頓は、指令者への絶対服従という観念をもちこんだのである。

 

>そして、なにより冒頓は、父親ごろしによる簒奪という「悪事」を、麾下の万騎たちにもともどもに背負わせることによって、自分の共犯者に仕立てたのである。かれらは、冒頓と一蓮托生となった。冒頓の権力は、かれらの権力なのでもあった。冒頓は、いまや無比の結束力をもつ万騎軍団を中核に、匈奴という中規模の政治集団をまず確実に掌握した。

 

 

 ・・・・・。確かに冒頓の行動にはただ残忍なだけでない、周到な計画性が見てとれる。彼は前3世紀に活躍した遊牧民の王である。しかし、まさに16世紀イタリアのマキァヴェリが理想とした君主ではないだろうか???(ちなみに現代でも、自分のために他人を利用することをためらわない人間のことを「マキァヴェリスト」と呼ぶ。)

 人は人に対してどこまで残酷になれるのか???そのことに私はとてもとても興味・関心を持っている。