前509年

 エトルリア人の王を追放し、共和政が成立した時のローマ。

 地中海世界のなかではあまりにも小さく頼りない。なぜこんな田舎の小国が地中海を統一できたのか?

 ローマ人は異民族にもローマ市民権を与え、敗者同化政策をとったことが良かった、とは良く言われることである。

 

 

前264年

 200年以上かけてイタリア半島内の都市を征服し、ついにイタリア半島を統一した。

 これより70年くらい前、東の世界ではアレクサンドロス大王が大暴れした。彼はインドから帰ってきたあと、イタリア半島への遠征を考えていたようである。(まだ若かったが、ローマにとっては病死してくれて良かった;)

 地中海の対岸に位置する大国カルタゴとシチリア島をめぐって対立!ついにポエニ戦争の火ぶたが切っておとされた。

 ローマ人「こんな大国と戦争やって大丈夫なんだろうか;?」

 

 

前241年

 第1次ポエニ戦争はかろうじてローマが勝利して終結した。地図は戦争が終わったあとの状況。

 イタリア半島のつま先に位置するシチリア島がローマの領土になっている。ローマ人はシチリア島をはじめとするイタリア半島外の領土を「属州」と呼んだ。実はこの時、イタリア半島西側のコルシカ島とサルデーニャ島もローマの領土になっている。2つとも世界史的に超ウルトラスーパーインポータントな島である。

 そんな中、ローマへの復讐を誓ったのが当時6歳の子供であったカルタゴのハンニバル=バルカであった・・・・・。

 

 

前216年

 現在のスペインにあたるヒスパニアは、ハンニバル一族の私有地になっていた。ハンニバル一族の長ハンニバル=バルカは幼い日の誓いを果たすべく、突如としてヒスパニアを出発し、イタリア半島への進軍をはじめた。緑色の線はハンニバル軍が通った大雑把なルートを示している。冬のアルプス山脈をこえたとか、アフリカ原産の象を連れてったとか、エピソードにこと欠かないが詳細は省略。

 イタリア半島ではたくみな戦術でさんざんローマ軍兵士を一方的に殺害した。「ハンニバルってなんでこんなに強いの?」「いや逆にローマ軍ってこんな弱かったっけ?」っていうくらいハンニバルは強かった。カンネーの地でローマ軍8万は決戦を挑むが・・・・・。

 なんの障害もない見晴らしの良い平原で、ハンニバル軍5万がローマ軍8万を包囲!6万人のローマ軍兵士を殺害した・・・・・。(いや、ちょっと何言ってるか分からないですよね;)さらっと書いたけれども、これが本当の話で、誇張でも何でもなく地中海世界全体を震撼させる出来事となった。一度のバトルで6万人も命を落とすなんていうことはそうそうあることではない。6万人の死体が見晴らしの良い平原に横たわっている様を想像できるだろうか?ハンニバルの戦術を「両翼包囲戦術」と呼ぶが、これは現代の軍隊も当たり前のように採用している戦術である。ローマのほとんどの家庭が夫なり息子なりを殺され、まるで国全体がお葬式のような雰囲気になった・・・・・。

 そんなハンニバルをローマはどうやって倒したのか?スキピオというエースが現れ、ハンニバル家の私有地ヒスパニアを攻略した。この軍事行動に際しては、元老院を説得するのが大変だったようである。なにせスキピオはまだ20代の若さだったので・・・・・。そしてスキピオはハンニバルの戦術を研究しつくし、ヒスパニア遠征の最中に何度も実行しようとした。しかし、両翼包囲戦術を完全にはコピーできなかったようである。いや、どれだけハンニバルは天才なのか・・・・・。最後の決戦は北アフリカのザマ。さまざまな好条件と努力の積み重ねが功を制し、直接対決でスキピオはハンニバルに勝利を収めた。決戦の直前にスキピオとハンニバルは会談したようなのだが、どんな話をしたのか諸説あり不明である。ここだけやたらと文章が長くなってしまったが、手に汗握る男と男の決闘!と言えば、まさにこのスキピオvsハンニバルをおいて他に無い。

 

 

前201年

 ハンニバルのイタリア半島侵入に端を発する第2次ポエニ戦争は、またしてもローマの勝利に終わった。

 カルタゴの領土は激減し、もはや風前の灯のように見える。海軍も制限され、もはや挽回は不可能な状況にまで追い込まれた。そこでタイトルのローマ人のセリフである。これは戦後、ローマ人が好んで使った言い回しである。例えば日常会話でも・・・・・

 

「くそっ!俺が金賭けてた剣闘士が負けた!大損だ!カルタゴが滅亡してないから負けたんだ!」

「奥さん、今日は良い日ね~。カルタゴが滅亡してくれれば、もっと良い日なのにねぇ。」

 

 

前146年

 カルタゴ滅亡・・・・・。東のギリシア、マケドニアも領土になっている。

 カルタゴの街はローマ軍に徹底的に破壊された。カルタゴ破壊の指揮をとったのはあのスキピオの甥にあたるスキピオ(苗字が同じ)であった。破壊され放火され燃え盛るカルタゴの街を前にして、スキピオは涙を流した。盛者必衰の理。ローマもまたこのような運命をたどるのではないか・・・・・と。