処女塚古墳6(神戸市東灘区)2024年6月7日
処女塚古墳は急流石屋川によって形成された扇状地上に造られた前方後方墳です。
古くから処女塚古墳 は、東灘区住吉宮町一丁目に所在する東求女塚古墳 (全長約80m)と灘区都通三丁目に所在する西求女塚古墳 (約100m)にまつわる悲恋の伝説が言い伝えられている。
この伝説は二人の男性が一人の女性を慕ったが 、女性は身を処しかねて海に身を投じた。そこで二人の男性も悲しんで後を追ったため、女性の墓を中にして、男性の墓を造ったという物語である。
処女塚古墳に前方部を向けて造られた、二基の古墳を見た古代の人々はそこに何らかの意味を見出そうとしたものであろう。
神戸市教育委員会は昭和54年度から国の補助金を得て整備事業にとりかかり、昭和60年3月には神戸市教育委員会による発掘調査が完了しました。以下は調査報告書の抜粋です。
前方部は、ほぼ全域を発掘調査したが、墳丘の流失が著しいうえに 攪乱が多く原形をとどめている部分は少なかった。 今回の調査で東側斜面上段の葺石と小段 、東側斜面および西側斜面の下段の葺石の一部が確認された。 これらの調査結果から、前方部は二段築成 、幅32m、高さ4mであったことがわかった。 また、くびれ部に近い前方部東側斜面上段の小段で、箱式石棺 1基 が検出された。この石棺は古墳築造後埋葬したと考えられ、上段の斜面を一部切り込んで造られていた。
棺内からの出土遺物はなかったが 、蓋石直上から滑石製勾玉1個が出土した。また、墳丘上から壷形土器片が出土しました。