古墳巡礼・四国編 227 清塚古墳2 | ロック古典主義

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 清塚古墳2(東かがわ市落合)2021年12月21日 

 

 おばさんのお教えに従い進めばありました。11号バイパスの手前 

に高木が林立する小さな墳丘が現れました。 

 横腹を通り過ぎ南西角に着けば、墳丘取付きに「キヨ塚」の石碑 

が見えます。墳丘は南から北に向かって緩やかに傾斜し、斜面には 

樹木が茂り、樹幹にお墓が散らばっちいてあたかも地域の公共墓地のようです。 

 このように狭い墳丘が墓地化した事例は全国的に日常茶飯なるも

はたして古墳の痕跡はあるのか。と訝りつつも奥へと登れば、

五輪塔らしき石塔が現れ、裏に何やらかぐわしい基壇がたたずむ。  

 「危ない!」この五輪塔はけっこう急な斜面立っていて、足元が滑って尻もちをつきました。     転ぶと痛い食べ物って何?       辺3ⅿほどの石組基壇には灌木が林立し、その中央には高さ1ⅿで1m四方の石組の上に小祠が載せられている。

 この基壇そのものが露出された主体部なのだろうか。 

 墳丘長は南北20m余り、東西最大15ⅿほどで西側の道路面には

削平の痕跡が認められる。ものの、この墳丘には「キヨ塚」の石標以外にはなんらの説明はなく、Web上にも手がかりすらない。 

 唯一、北奥の基壇辺りが盛り上がっていて、南方向が細長い感じから前方後円墳の匂いもなくはないけれども、平たん地の真ん中という立地環境からは考えにくい。

 ここから西へ5kmあまり丘を越えた大川町には四国最大級という 

富田茶臼山古墳がある。前方後円墳はそちらにお任せください。