古墳巡礼・四国編 225 建布都古墳4 | ロック古典主義

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 建布都古墳4(阿波市市場町)2023年11月9日 

 

 建布都神社墳丘の南裾境内には、「史跡 建布都古墳 応安の板碑」なる旧市場町教委による緑色片岩製の板碑が立ちます。 

 こんもりとした木立に覆われた盛り上がりにおもむろに近づけば 

墳丘の裾には築造年代不明の砂岩製の立石が4ヶ所認められる。 

 未調査のため内部主体や築造年代は不明。墳丘上や裾に緑色片岩 

の板石が認めら、墳丘の南裾建立されている緑色片岩製の板碑には 

(応仁二年)主体部の石材を利用した可能性も考えられます。

 同市山野上に所在する大野寺内にある宝篋(ほうきょう)印塔と一緒に別の場所に建立されていたものを、宝篋印塔は大野寺に移築板碑は建布都神社内に移設した、という伝承もある。   

 建布都古墳は直径17m程の円墳で、北から延びる洪積台地縁辺部 

に位置する。この台地の三方は吉野川の氾濫源が拡がり、周辺から 

は一段高い場所に古墳が築かれています。 

 この古墳周辺には主体部石材を利用したと思われるモニュメント 

が散らばっている。見事な天井石とみられる一枚岩になにやら梵字 

らしきが刻まれている。その前の地面にはこれまた天井石を埋込み 

埋葬施設とはまた異なる風味を放つ。 

 楠の巨木の下にも石仏などが散りばめられて、さまざまな崇拝の 

あたかも万代博覧会場のようです。 

 ふるさとの先人が築き上げた遺産を後代の人々が思い思いに改変しながら継承していく。果たして墳墓に眠る被葬者の感慨いかほどかと偲ばれます。