百舌鳥古墳群36(大阪府堺市)2024年1月19日
天皇(すめらみこと)という名称が使われはじめるのは、律令制が創始された天武天皇または持統天皇の頃(七世紀後半)から後の時代のことです。
したがって、7世紀代以前の古墳に「甲乙天皇陵」と表記するのは誤解を招くことになります。そのような呼称そのものが存在してなかったのだからありえません。 このような理由から、研究者によっては「伝甲乙天皇陵」とか「甲乙天皇陵古墳」といった呼称を使っていますが、これでも甲乙天皇の陵というイメージは払拭されませんね。
同じ理由から、古墳の名称に甲乙天皇陵とか丙丁皇子の墓などといった人名、固有名詞を使うのは、適切ではないのです。
古墳名は地名主体で、通常、遺跡の名前は平城宮跡とか大坂城跡などその実態が確実にわかっているもの以外は、小字などの地名をつけるのが慣例となっています。
大山古墳には「仁徳陵古墳」「伝仁徳陵」「大仙陵」「百舌鳥耳原中陵(もずみみはらのなかのみささぎ)」「大仙古墳」とさまざまな呼び方があります。
そこで筆者も固有名詞や天皇、皇后の墓を表す「陵みささぎ」という言葉は使わずに、地元の人々が古くから呼び習わしてきた大山
一方、履中天皇陵は、最近では「上石津ミサンザイ古墳」という呼称も使われています。上石津にあるミサンザイ(ミササギがなまったもの)古墳ということですが、これでは範囲が広く固有名詞としては一般的すぎてふさわしくない。履中天皇陵の敷地があるのは
石津ケ丘町という地名であり、石津ケ丘古墳と呼ぶのが妥当だ。
また反正天皇陵は同じような理由から田出井山古墳と呼びます。