なぜ、彼は繰り返すのか。なぜ、同じような手口で人を欺き続けられるのか。これは単なる個人の性格や倫理観の問題ではなく、日本社会が抱える構造的な脆弱性と深く結びついている。
山納銀之輔の精神構造を読み解くとき、
最初に目につくのは「幼稚な万能感」である。
彼は現実の制約を受け入れることができず、「自分は特別な存在であり、何でも可能だ」と信じている。
その根底にあるのは、社会や規範への不信感というより、むしろ無関心だ。
法律や税制は「凡人を縛る枠組み」であり、自分のようなヒーローには適用されない。
違法スレスレ、脱税スレスレの手法を選ぶのは、単なる利益追求ではなく「スリル」と「優越感」を得るためだ。
同時に、彼のヒーロー願望は異常なほど強い。
講演やプレゼンでは聴衆を惹きつける巧妙な話術を使い、虚飾のストーリーを語る。
実態のない事業や経歴が、鮮やかなレトリックによって「壮大な物語」に変換される。
聴衆はそこで「時代の先駆者」「カリスマ起業家」としての虚像を受け入れてしまう。
ここで重要なのは、彼自身もまたその虚像に酔っているという点だ。
つまり、彼にとってプレゼンや講演は「欺く場」ではなく「自己を証明する舞台」なのである。
では、なぜこれほど破綻した論理を続けられるのか。
その答えは「詐欺そのものが彼の生きる目的になっているから」だろう。
常人にとっては失敗や逮捕が恐怖であるのに対し、
彼にとってはリスクの大きさこそが人生を「本物」に感じさせる。
彼は詐欺を繰り返すのではない。詐欺を繰り返すことでしか自己を確認できないのである。
そして、こうした人物が存続できる背景には、日本社会の「脆弱な情報リテラシー」と「曖昧な責任構造」がある。
日本人は「人柄」や「熱意」といった感情的要素に判断を委ねやすく、制度や契約よりも「空気」を優先する。
そのため、カリスマ的な語り口や成功物語に弱い。
また、被害者は「騙された自分」を認めることを恥じ、声を上げない。
加えて、司法や行政の対応は遅く、法の網を抜ける「グレーゾーンの巧妙さ」があれば、
詐欺師は何度でも舞台に立てる。
結局のところ、山納銀之輔の精神構造は三つの要素で整理できる。
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幼稚な万能感 ― 自分は特別で、規範を超越しているという妄信。
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ヒーロー願望 ― 聴衆の前で喝采を浴びることでしか自分を確認できない。
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規範からの逸脱 ― 違法スレスレの綱渡りに快楽を見出す倒錯。
これらはすべて彼にとって「生き延びるための戦略」であると同時に、
他者にとっては「破滅の装置」である。
そして、こうした人物が繰り返し社会に登場するのは、彼らの精神の問題ではなく、
私たち自身がそうした虚像に依存しているからかもしれない。