江戸東京博物館の特別展「徳川の城」のチケットを、新聞販売店から貰っていたのだが、しばらく放っていたら明日で終了だと分かった。
慌てて両国に向かうと、隣の国技館では秋場所の真っ最中である。白鵬の休場、照の富士の連敗で今ひとつ盛り上がりに欠けるが、沢山ののぼり旗が江戸情緒をそそる。
しかし目の前のバーベキューガーデンは頂けない。濛々たる煙と匂いは何とかして欲しいが、国技館側はクレームを付けないのだろうか?
ともあれ江戸東京博物館に入り、特別展の鑑賞だ。
館内を進むと城の図面が数多く展示されており、些か戸惑う。細かい字でびっしりと書かれているが、よく読めない。城郭マニアには面白いかも知れないが、ちょっと辟易した。
ただ徳川幕府が、近い将来の豊臣方との大坂決戦を想定して福井城、亀岡城、篠山城、加納城など交通の要衝に譜代大名を配置して城を築いたとの展示には感心した。流石は徳川家康、用意周到である。
戦さの勝敗は合戦の前に決していると言うことを改めて教えてくれる。太平洋戦争の指導者達は歴史に学んで頂きたかった。
ただ徳川の城の中でも、大坂城だけはよく分からない。豊臣の大坂城を地中深く埋めて、徳川の威信を掛けて豪壮な城を築いたのだが、商都大坂に巨大な城は必要なかった筈だ。家康は合理主義者だと思っていたが、豊臣憎しの一念はそれ程大きかったと言うことだろうか?
最後のコーナーには、江戸城無血開城後、荒廃していく江戸城の写真ガラス原板が展示されていた。明治4年に撮影された重要文化財だが、荒れ果てた大手門・日比谷門などの姿は憐れを誘う。
天下普請で諸国大名を動員して完成させた華麗な江戸城だが、二百数十年後には朽ちた姿となる。正に諸行無常である。
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