風化は悪か? | アンクルコアラのブログ

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3月11日、言わずとしれた東日本大震災が起きた日である。今年で4周年、各地で慰霊祭や追悼イベントが行われ、メディアでも特番・特集が組まれている。

私も4年前の今日、午後2時46分の地震発生に肝を潰したことを生々しく覚えている。会社のある千代田区では震度5強を記録、交通機関がマヒしてその日は会社に泊まることを余儀なくされたものだった。

震災から4年経った現在のメディアの論調は、概ね「震災の記憶を風化させるな!」で統一されている。

正論ではあるのだが、私は若干違和感を感じている。

もちろん復興策の推進や防災対策の実行が、年月とともに停滞することがあってはならない。近い将来必ず大地震や津波が何処ででも起こり得るという緊張感を持続させるため、震災の記憶を風化させてはならない。

一方、震災によりかけがえのない家族や友人を亡くした遺族はどうだろうか?

特にほんの僅かの行動の違いが自分と家族・友人の生死を分けたケースが多く、生き残った方の悲しさ、辛さ、無念さは筆舌に尽くし難いと思う。

しかし生きているもの必ず死が訪れる。残された者の引き裂かれるような思いは、何も震災に限らない。

いつまでも故人への思いにばかり囚われていては遺族も何も出来ないし、それは故人にとっても不本意ではないか。

仏教における七回忌、神道における十年祭は、故人を偲ぶ暮らしを一段落し、遺族が新しい人生のスタートを切るための儀式でもある。

故人への思いを今断ち切るべきとは言わないが、一定の年月の経過が故人を生々しい存在から歴史的存在へと昇華させることが必要ではないだろうか。

それを風化と呼ぶなら、風化も決して悪いことではないだろう。

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