隅の老人の部屋

隅の老人の部屋

映画やドラマの紹介。感想を中心に
思い出や日々の出来事を書き込んでいこうと思います。

藤本タツキの初期短編8作をアニメ化した、
Part-1」に続く後半4編です。
原作は読んでいません。

「人魚ラプソディ」
人魚の存在が認識されている世界が舞台となっています。
人魚は海に迷い込んだ人間を食べることがあり、
人間も人魚の肉を食べると不老不死になると信じて食べることがあったため、
両者は対立していました。

海中に人魚が作ったとされる水中でも音が出るピアノがあり、
トシヒデは海に潜って、そのピアノを弾くことが日課のようになっています。
トシヒデの亡くなった母親はピアノを弾く人魚でした。

今はピアノが弾ける人魚はいなくなっていて、
人魚のシジュはトシヒデにピアノを教わるようになります。
しかし、人魚の世界では人間と親交を結ぶことは禁じられていました。

音楽が異なる種族の垣根を越えていく物語がさわやかに描かれます。
ストーリーの美しさでは今回アニメ化された8編の中でも屈指ではないでしょうか。
水中でトシヒデがピアノを弾き続けるための方法が、
ちょっと藤本タツキらしく思えて楽しかったです。

「目が覚めたら女の子になっていた病」
性別が変わってしまう病気が存在する世界らしく、
珍しい病気だと医者が言う描写はありますが、
周囲は意外と衝撃を受けていません。

主人公トシヒデはもともと泣き虫な性格らしく、
イジメの対象となってガールフレンドのリエに助けられることもあったようです。
女の子の体になってトシヒデはさらにセクハラの対象となってしまいます。
そんなトシヒデに助け舟を出したのはリエの兄アキラでした。
リエはトシヒデを兄に取られてしまうのではないかと心配になります。

人間を決めるのは精神なのか肉体なのか、がテーマとなっている印象を受けました。
コミカルな語り口ですが、なかなか奥深い作品です。
トシヒデが少したくましくなったように感じられるラストが魅力的でした。

「予言のナユタ」
魔法使いが普通に存在する世界のようです。
魔法使いの間には、角が生えた心を持たない魔法使いが世界を滅ぼすという予言が広まっていて、
一般の人々の中にもその予言を信じる者が多くいました。

ケンジに角が生えた妹ナユタができます。
母親は出産時に命を落とし、
父親もある朝変死体となって見つかります。

ナユタの発する言葉はネガティブな単語の羅列で、
ケンジにも十分な意思疎通はできません。
ケンジはナユタに不信感を抱きつつも、
兄としての使命感で彼女と暮らしています。

やがてナユタは強力な魔法を使うようになり、
魔法使いが率いる群衆に命を狙われます。

一方、ケンジはナユタと意思疎通できなかったのは、妹に心がないからではなく、
自分の向き合い方に問題があったのではないかと気づいていきます。
ナユタの兄に対するつたない愛情表現が胸を打ちました。
角の生えたナユタはちょっと「チェンソーマン」のパワーを想起させますが、
二人の関係はデンジとレゼに近い気がします。
たとえ相手がどんなに危険な存在でも愛する心は変わらないという潔さに、
藤本タツキらしさがあるのではないかと感じました。

「妹の姉」
光子は美術に高校に通っていますが、
同じ学校に入学した妹杏子が描いた光子の裸婦画がグランプリを取ってしまいます。

その学校ではグランプリを取った絵画を玄関に飾る決まりがあり、
光子のヌードが全校生徒にさらされてしまいます。
からかわれたり、好奇心たっぷりの目で見られるようになった光子は激怒して、
杏子を裸にして絵に描きグランプリを取ろうとし始めました。

もともと絵画の道を目指していたのは光子で、
姉と同じ学校に進学したいという杏子に絵の描き方を教えたのです。
ところが光子は、いつの間にか絵画のテクニックで妹に追い抜かれたと感じるようになっていました。
悔しさもあって光子は絵画の道を諦めようとし始めています。

序盤はコミカルに展開しますが、
杏子が描いた絵の真のテーマを知って姉らしさを取り戻していく光子の姿が素敵でした。
姉に背中を一生懸命追い続ける杏子もキュートです。
絵の才能をめぐる確執と和解というテーマは、
名作「ルックバック」の原点ではないかと思えますが、
ユーモラスな軽いオチで安心しました。

 

 

 

どれも面白かったのですが、
後半のほうが完成度が高くなっているように思われ、
藤本タツキの創作者としての成長も分かる作品になっている気がしました。

映画感想 「藤本タツキ 17-26 Part-1」