「プレイボーイ」と並ぶ成人雑誌「ペントハウス」の創刊者ボブ・グッチョーネが、
当時としては異例の高予算1750万ドルを投じて制作したエログロ史劇大問題作の究極版です。
監督は「サロン・キティ」(1976)やルキノ・ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」(1954)をリメイクした「秘蜜」(2002)で知られ、エロス映画界のヒッチコックの異名を持つティント・ブラス、
脚本は「去年の夏 突然に」(1959)や「パリは燃えているか」(1966」)のゴア・ヴィダル、
音楽はエンニオ・モリコーネの指揮者として活躍したブルーノ・ニコライが変名で担当、
出演者も「時計じかけのオレンジ」(1971)のマルコム・マクダウェル、
シェークスピア俳優ジョン・ギールグッド、
「アラビアのロレンス」(1962)のピーター・オトゥール、
近年もアメコミ映画や「ワイルド・スピード」シリーズで活躍するヘレン・ミレンと、そうそうたる顔ぶれです。

ところがボブ・グッチョーネが、本編撮影終了後にハードコア・セックス・シーンを追加撮影、
かってに再編集してしまったので、大問題作となってしまいました。
このハードコア・ポルノ版は酷評されましたが、興行的には大成功します。
かって20世紀フォックスの超大作「クレオパトラ」(1963)が格調高すぎる出来で、
ドロドロ愛憎劇を期待した観客からソッポを向かれ大コケ、会社が傾いた、なんてこともあったと聞くので、ある意味正解だったのかもしれません。

この劇場公開版を再編集してハードコア・シーンをカット、
ティント・ブラス監督が目指したソフトコア・エロス史劇に近づけたとするのが「カリギュラ ディレクターズ・カット版(以下DC版と書きます)」(1980)です。
とは言っても、このバージョンの作業ににティント・ブラス監督本人は、関わっていなかったそうです。
そしてゴア・ヴィダルらのインタビューなどをもとに、初期に目指した内容を再現しようと試みたのが本作・究極版です。
残されたフィルムを全部確認し、最も出来が良いと思われるカットを使用していて、
同じ場面でも前の作品とは違うテイクが使われているので、
リメイク版と捉える人もいるようです。
ただし、このバージョンにもティント・ブラス監督は関わっておらず、
結局、監督が認めるバージョンはないままに終わってしまいました。

上映時間は初期公開版が156分、DC版が133分、究極版が178分となっています。
場面やカットの増減はあるものの、メインのストーリーに変更は加えられていません。
カリギュラ(マルコム・マクダウェル)は、妹のドルシラ(テレサ・アン・サヴォイ)を愛して肉体関係を持っていますが、ローマの法律で結婚できずにいます。

重度の性病を患っている義父のローマ第2代皇帝ティベリウス(ピーター・オトゥール)は、
実孫のゲルメスを溺愛していて、
いきなりカリギュラに毒を盛ろうとします。
慣れっこなのかカリギュラが平然としていて、宮廷の異常ぶりに驚かされました。
宮廷では常時乱交パーティのような状況にあります。
解説によれば正確にはカプリ島の仮宮廷らしいのですが、
劇中ではよく分かりません。

宮廷の退廃ぶりを嘆いたティベリウスの腹心ネルバ(ジョン・ギールグッド)は自害します。
いよいよ死の床に就いたティベリウスは、カリギュラが逡巡しているところを、新鋭隊長マクロが殺害しました。
第3代ローマ皇帝となったカリギュラは、ドルシラに言いくるめられて、マクロを公開処刑してしまいます。
妻には巫女の中から、ドルシラの反対を押し切って評判が悪くて離婚歴もあるカエソニア(ヘレン・ミレン)を選びました。
カリギュラは兵士プロキュラスの結婚を祝うふりをして、新婦リヴィアの処女を奪い、
プロキュラスをもレイプするという異常行動を見せます。

やがてカエソニアは妊娠、同じころカリギュラは熱病に倒れ生死をさまよいます。
Wikiによれば史実では淫らな行為や不潔な入浴によるウィルス感染だったようです。
当初は穏健だったというカリギュラが病を境に暴君になったとあるので、
もしかしたらウィルスで脳をやられた結果だったのかもしれません。
カエソニアの公開出産が行われ、
その場で今度はドルシラが熱病に倒れて帰らぬ人地なってしまいます。
映画のほうでは、これを境に元々異常だったカリギュラの行動に歯止めが掛からなくなったという印象を受けました。

一応3つのバージョン全て見ているのですが、
究極版が特に優れているかというと、
そう言われれば、そんな気がする、という程度です。
以前見たときに感じた、名優をそろえたのに演技が微妙、という違和感が薄れているようにも思うのですが、はっきりしません。
印象に残っている場面で、究極版にあってDC版にない場面は、
プロキュラスが公開処刑上に落とされて生き残るくだりと、
カリギュラが彫像の首を自分にものにすげかえる場面と、それを砕く場面かなあ。
後わずかな違いですが、ローマで投獄されたエピソードが少し詳しくなっていたのが良かったです。
宮廷に戻ってくるのが唐突に感じていたのですが、経緯が理解しやすくなっていました。

逆にDC版にあって究極版になかったのは、
カリギュラがプロキュラスを殺害する場面と、
ローマをさまようカリギュラが自分とドルシアの関係を揶揄した野外劇を目撃する場面でした。
他にもあるのでしょうが、特に気づいたのはこれらの場面でした。
プロキュラスは特に重要なキャラクターとして扱われていないので、
場面が削られたり追加されたりするのかもしれません。

エンディングについては、あっけなくクレジットに切り替わる究極版より、
無残に打ち捨てられた4人の死体から、カリギュラの死に顔アップに切り替わってストップモーションになるDC版のほうがインパクトがあったように思いました。
「絶対的権力は絶対的に腐敗する」というテーマが今回のバージョンで明確になったかについては、ちょっと疑問に感じました。
序盤からカリギュラの行動に異常性が感じられるので、本人がもともと持っていた性質という印象を感じてしまいます。

ただ今回見て、どこか幼稚な性格で、行き当たりばったりな発言や政策を繰り返し、意義の感じられない領土拡大を掲げるカリギュラの姿が、某大国の大統領と重なって感じられたのが新発見でした。
あと今回驚いたのは、ソフトコア版とはいえ無修正の上映だったことです。


