屁のない処に御国はたたぬという駄洒落だけのブログ
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すべては屏風内での出来事

将軍:「一休、この屏風の中の虎を捕らえて見せよ」

一休:「トラをトラえるなんて、そんな駄洒落みたいなこと出来るわけないじゃないですか」

将軍:「きさまっ!!」



○か×しかない世の中はとてもしんどいものです。
別に無理して、政党や政治家を選ぶ必要はないのに、
投票紙を渡されると、何か書かなければいけない気がするのか、
勢い、政権執ったことのない党が圧勝してしまいます。
きっと、
「何か分かんないけど、この裁判官クビにしちゃえ」って印つけた人もいたりして。

別に自民党員ではないんですが、
栄枯盛衰、流行り廃りで政権決まるようでは、もはやインフルエンザ感染列島。
民主党に吹いた「風」ってなんだよ。ホラしか吹いてねえよ。
民主党の上層部って、みんな犬みたいな顔だから、犬ブームがきたのだと諦めるしかない。
Yes we canは知らぬ間にただの英語になり、ass hole太郎もただの穴になった今、
求められているのは、個の力。
決して、粉の力ではない。



将軍:「一休、この絵に描いた餅を食べさせてくれ」

一休:「そんなマニフェストみたいなもん、LIVしか売ってないよ」

将軍:「ニューアルバム『Manifest』好評発売中!」


民主党議員が大麻でもやってればいいのに。




裸の王様は権力を着ている

商人「王様。これは馬鹿には見えない服です」
王様「お前バカじゃねえの」

見えないという事実を受け止める事が出来る人はそう多くありません。しかし、見えない服を着てしまったとしても、それはそれで正しいと言えます。裸で町を歩いているように他人から見えても、私は服を着て歩いている。
一方で、そうやって存在する事を許してくれないのが社会。知りもしない世界を知っているかのように感じてしまう世界。本当はどれもこれも自分の頭の中にしか存在しないのではないでしょうか。
客観の縁まで行っても、主観の壁が立ちはだかっている。

どれほど情報をまとっても、一向に暖かくならないのは何故。


大丈夫ですよ、王様。馬鹿は風邪ひかないから。

犬去る啓示

その時、桃五郎にはどうして自分が野良犬に話しかけられているのか分からなかったし、それ以前にその犬がどのようにして日本語を話せているのかが解らなかった。
きび団子をよこせと言われているのは、自分の食べ物への執着心が聴かせる幻聴だと、はじめのうち思っていたが、先刻食べた昼食の事を思い出し、その犬の言葉がその犬自身のものである事を否定する材料も無く、仕方が無いので話だけでも聞く事にした。

「桃五郎さん。お腰につけたきび団子、ひとつ私にくださいな」

犬は嗅覚が優れているので、きび団子を持っている事が知れている事には驚かなかった。それでも、自分の名前を、わけの分からない野良犬が知っている事には流石にヒいた。
桃五郎はその犬に聴きたい事が幾つもあったが、あまり関わり合わない方が良いと思い、とりあえず、きび団子だけでも置いて立ち去ろうとした。すると次の瞬間、突然その犬が飛びかかってきたので、桃五郎はとっさに懐の小刀を犬の喉元に突き立てた。
ぐったりと横たわる犬を見て、その犬がきび団子を食べようとして近づいてきたのだと気づいたが、初めての一人旅で緊張していた自分には、身の周りでおこる様々な事に対処する余裕が無かったのだと自分に言い聞かせ、犬の為に墓をつくると、また急がぬ旅路を急ぐのだった。

出逢いというものはタイミングによってその形を変えるものです。
出会いの春は終わりました。もうすぐ、涙の梅雨がやってきます。

この星は小さく、海は広い

コロンボスは後悔していた。この航海を。まさか沈没するとは思っていなかったので、ショックも大きかった。シロナガスクジラ程もあるシロナガスクジラに体当たりされ、船が二つに裂けた瞬間、コロンボスは、昔、友人が彼に言った言葉を思い出していた。

「いいかコロンボス。もしお前が言っている事が正しいのなら、
 その“地球”の裏側の人間は皆世界の外に落ちてしまっていて、
 もしお前もそこに行けば、ツルリと滑って空の彼方だろう。
 悪い事は言わない、この穴あき包丁を買いなさい」

ああ、これは友人ではなく、物売りの言葉だった。それでもあの時、コロンボスが包丁を買わずに船を買ったのは、彼が幼い頃から抱いていた夢があったからだ。

航海時代、未だ見ぬ水平線の向こうには国境線など無く、不安や恐怖や、夢や想像が地球の70パーセントを占めていました。今ではただの海水になってしまった水平線を見ていても、行ってみたいなヨソの国とは思いません。

(人はココまでが自分の領海だと主張し合い、疑い、罵り合いながら小さな島を離そうとはしません)


涙の海に沈みながら、
コロンボスは初めて海のしょっぱさを知ります。

ヘンゲルとグレージェル

しばらくの間、森をうろついていたヘンゲルとグレージェルは道に迷ってしまいました(方向性を見失ってしまいました)。グレージェルが道標べにと思い、落としていっていたパンくずを森のバカ鳩(とヘンゲル)が全部食べてしまい、帰り道が分からなくなってしまったのです(後には引けなくなりました)。
気づけば木々の合間に見える空に夕闇が迫っています。薄暗い森の向こう、より暗い闇のほうから、ただならぬ不安がヘンゲルとグレージェルに重く寄りかかってくるようです。
揺れる木々や草花の音が脳に働きかけ、どうやらヘンゲルは幻覚を見始めています。
「もう、クローン技術は完成しているんだ!」
兄の様子を見たグレージェルは、このままではいけないと思い、火を興す事にしました。
「やめろ、火を消せ!怖いよう…」
炎の明るさは暗闇に潜む魔を取り払ってくれます。ヘンゲルの表情が少しずつ穏やかになってきました。
「森ハ美シイ」
いつの間にかCWニコルのようになってしまった兄を見ながら、グレージェルはホルモンを焼き始めました。ジュージューとね。
「メルヘン」と「ホルモン」は似ています。何が。音が似ているのでは。ホルモンメルヘンホルへンメルモン。それ以外にも「はらわた」というのはメルヘンの持っている、内に秘めた見えないドロドロと似ていないとも言えません。どうでしょう。グレージェルがそんな事を考えていると、ヘンゲルが彼女を呼びました。
「グレージェル!向こうに何かあるよ!」
うるさい兄です。しかし、グレージェルにとってヘンゲルはこの世でたった一人の血の繋がった家族です。彼がいなければグレージェルは貴族に養子にいく事も出来たのですが、優しいグレージェルはバカな兄を見捨てる事が出来ず、今もまだ貧しい生活を続けているのでした。
「え!?何これ?うわ!なんなの!?」
罠にかかってもがいているヘンゲルを見上げて、グレージェルはため息をつきそうになりました。が、ため息をつくと“幸せの妖精”が死んでしまうと教えられていたので、寸でのところ、呑み込みました(幸せは望むうち形として存在するものです)。
“罠”と言っても様々なものがあります。グワバとすくい上げるもの。バサリと覆い被さるもの。ザクリと痛くするもの。しかし、兄がかかっている罠はそのどれとも違うもので、また、グレージェルが想像もしていないものでした。
空気中の見えない糸に手足を絡め取られ、透明のオモリに潰されそうになっている兄。
そう、ヘンゲルは罠にはかかっていませんでした。
ため息をつくグレージェル。I wanna be happy warrior.

物語中、一瞬の幸せである「お菓子の家」を二人が見つけるのは、
もう少し先の話です。

人を超えて

先日、風呂場で背中を洗っていると5ミリ程の穴を見つけました。背中にあるので鏡を使っても上手く見る事が出来ないのですが、指で探すと確かに小さな穴あります(人体に対してそのぐらいの穴が大きいか小さいかはよく解りません)。
今までもずっと、穴はそこ(背中)にあったのでしょうか。気づきませんでした。それとも最近、栓が抜けたのでしょうか。
栓。空気穴は塞がなければなりません。何故かというと空気が抜けてしまうからです。では空気が抜けると何か困るのでしょうか。困りませんね。
背中の穴から抜け出した自分的空気は、大気に溶け、風に吹いて、雲になって、雨と降り、河を流れ、海へ出ると、大気に溶け、いつか愛する人に吸収されるのを待っているのです。
それとも、私の皮膚は着ぐるみで「中」に誰か別の人が居るのでしょうか。私の眼や耳から世界を覗き、私の外に出るタイミングを図っている誰か。いつか捨てられる日を思いながら、私の死屍が土になって食物連鎖に組み込まれる日を待っています。

今回はウルトラマンから考えてみましょう。
胸につけてるマークは流星。自慢のジェットで敵を討つ。光の国から僕らの為に来た彼はM78星雲の異星人で、年齢はたしか20000歳くらい、身長は40メートル程もあったかしら。
幼い頃、私は彼のファンで、怪獣たちをやっつけるその姿に憧れて、道ばたの雑草を暴力的になぎ倒していたのを覚えています。しかし、最近あらためてウルトラマンを観ていると、実はあのテレビ番組は怪獣たちのドラマを描く為にあったのではないかと思うほど、敵怪獣たちには様々な人間模様というか怪獣模様があるということを知りました。
人間の開発によって静かな眠りから起こされた怪人。火星に置いてきぼりにされ怪獣になった元人間。自分の居場所を探して宇宙を彷徨う怪獣。なかには力まかせに暴れるモノもいたけれど、絶対悪として憎むべき存在ではないように感じるのです。
よほど、人間の方が恐ろしいものかもしれません。社会的な怪獣たちは怖れられ、嫌われて、自らを正義と名乗る者によって淘汰されていきます。
ウルトラマンは地上にいられる3分間、何を考えて戦っていたのでしょう。「ジュワ」としか言えなかった彼は、人間に身体を貸してしまった責任と、宇宙人としての良心の呵責の間でどれ程の葛藤を経験していたでしょうか。
地上に降り立ってから2分10秒後に鳴り始めるカラータイマーが、彼の心の叫びだったという事を、当時の僕はまだ知る由もありませんでした。
独りでは下ろす事の出来ない背中のジッパーを誰かが下ろしてくれる日を待ちながら、ウルトラマンというパブリックイメージを脱いで、本当の彼が姿を見せる事が出来る日は来るのでしょうか。

なんか、背中が…

後悔の前

「本当に大丈夫なのかい?」
「何が?」
「だって、世界の端まで行ったら、落ちるんじゃないのかな」
「バカだな、知らないのか?地球は丸いんだぜ」
「…嘘はよくないよ」

上はコロンブスとその友人の会話です。この後コロンブスはアメリカ大陸に到達するのですが、そのとき彼はインドを目指して航海していたのでアメリカ大陸をインドだと思っていました。
井の中の蛙を笑った蛙も、井の中の蛙だったという事です。


胃の中の二人(第3話)と夢オチ

ークジラの胃の中である事を忘れて、
 ゼットじいさんと楽しくボウリングをしていたペノキオ。
 楽しい事は苦しく辛い現実を忘れさせてくれます。

ぺ「ゼットじいさん、大変だよ!」
ゼ「どうしたんだいペノキオ。人間にでも成れたのかい?」
ぺ「…だといいのに…ちがうよ!クジラが、クジラが…」
ゼ「人間にでも成ったのかい?」
ぺ「ほにゅーるい!ほにゅーるい!!…違うよ!このクジラが
  このクジラが死んでるんだよ!」
ゼ「そうだね」
ぺ「そうなの?」
ゼ「えっ?死んでいるって?」
ぺ「クジラが死んでるんだよ!」
ゼ「それは、まいったなあ。急いで外に出た方がよさそうだね」
ぺ「でもどうやって?」
ゼ「じゃあこうしよう。このクジラの体の特性を利用するんだ。
  いいかい? クジラの肉っていうのは冷凍保存が効く事は
  知っているね。適切な方法で冷凍されたクジラの肉は、
  解凍しても品質が落ちにくくなる。
  でもそれは、現代の発達した冷凍技術のおかげなのだよ」
ぺ「…うん」
ゼ「……」
ぺ「…冷凍ってすごいね」
ゼ「テクノロジーさ」
ぺ「じゃあ例えば、人間を冷凍してもう一度生き返らせる
  コールドスリープも可能なの?」
ゼ「理論上は可能なんだがね。まだ研究段階さ」
ぺ「…あれ?何の話だろう…なんだか…眠い…や…」
ゼ「……」
……
……
ぺ「…ん?…ここは?…」
ゼ「目が覚めたんだね、ペノキオ」
ぺ「…ゼットじいさん?」
ゼ「そうか、覚えていないんだね」
ぺ「え?もしかしてさっきのは、夢?ここはドコ?」
ゼ「クジラの中です」
ぺ「ほにゅーるい!」
ゼ「さあ行こう、ペノキオ」
ぺ「いったいドコへ?」
ゼ「クジラの外さ」
ぺ「でもどうやって…」
ゼ「肛門からさ」
ぺ「“門出”ってやつだね!」
ゼ「人生、楽ありゃ苦もあるさ。苦しみを知って楽になるんだ」
ぺ「うん!」
ゼ「こ!」


つづけ

こどもの日

ほんとに ほんとに
ほんとに ほんとに ライオンだ。

町は夕暮れ、私は近所のスーパーマーケットへ歩いています。
おや?カカトに何か当たりました。振り返ると5、6歳の少年が石を蹴りながら歩いていました。ああ、なるほど。それならば仕方ないと思い、また前に目を向け歩き出したのですが、その後も私の足に石が当たってくるわけです。なんだろうこれは。そして次の瞬間、少年が私を追い越したかと思うと彼は振り返り私に向かって石を投げてきました。うん?ああ、なるほどね。
最近、巷では少年少女を狙った犯罪が頻発しています。彼(投石少年)は私を大人の象徴として捉え、力なき子供の代表として私に抗議の意志を示したのでしょう。
同時に少年たちに犯罪行為を行った人々が、その行動に至った理由はこういう事かもしれないと思ったのです。少年たちは未だ現実を(私より)感じていません。気づいたときには遅いのです。近づき過ぎれば畑正憲のような目に遭うのです(笑っていられるなら別ですが)。

ということで今回はムツゴロウ動物王国国王・畑正憲から考えてみようと思います。
ムツゴロウこと畑正憲をただの動物愛護狂だと思っている人は少なくありませんが、彼が東京大学理学部を卒業し、著作活動を行い菊池寛賞などを受賞している事は忘れ去られようとしています。ムツゴロウ動物王国なんてなんでしょう、怖いでしょう。肉食獣たちと(一方的に)じゃれ合っていたり、犬の尿を呑んでいる画はインパクトがありすぎるのです。研究と愛によって、彼は動物に近づき過ぎたのです。近づき過ぎて、通り過ぎて、動物という存在と意味のギリギリ端のところまで行って逝ってしまったのです。私たち畑正憲以外の人間は、動物の皮膚(視覚的概念情報)までしか接近する事が出来ないので、彼の行動を理解する事が困難になります。
近すぎちゃってどーしよ。なのです。
物事を的確に感じる為には、適切な距離というものが必要になります。東京タワーに登ったら東京タワーは見えませんし、誰かの愛が離れてみて初めて感じるものであることと似ています。
つまり、現実に近づいてもいない投石少年の投げた石は、(中国でのそれと同じように)残念ながら私には(本当には)届いていないのです。という話。



あのガキ、今度遇ったらタダじゃおかねえ。

宇宙の端、世界の中心でなんて叫ばないよ

こうして宇宙空間を漂っていると、己の身体の小ささを感じます。また、パソコンの前に座っておりますと世界の存在すら疑わしくなってまいります。さて私は虚無主義者ではありませんが、人は所詮独り、他人の本当の所はわかり合えないものだとは思うわけです。
しかしながら、広い宇宙(例えですが)に独りでいるのは哀しいので、寂しいので誰かに逢いたいのですね。自分の存在を知る為にも他者は必要になります。集団と個、世界を感じる主体の始まりには己があってほしいものです。
そういえば、デモだってマラソンだって通勤だって最初は1人から始まっているのです。そして最初の人は、最終的な集団の目的とは違った目的を持っていた可能性があり、きっかけはフジテレビでも結果ニッポン放送になっていたりするわけです。ホリエモンも、ドラえもんも今では(昔と)すっかり変わってしまって、この世の常なるものの存在を確かめたくなります。
試しにgooで「真実」を検索してみると26万9000件ヒットしました。バーチャル空間を情報まがいの情報が飛び交い、真実は語られぬまま忘却の彼方です。
言葉は、今どれほどの力を持っているのでしょう。文字は溢れています、ブラウン管や新聞やパソコンの液晶などに。(まあでも見かけない文字とかもありますね。例えば「堊」とか「穢」とか画面ではつぶれてしまっている上に、私はもう二度と使わない文字です)。
誰か大切な人に、どれほど気持ちを伝えられるでしょう。所詮、人は人と解り合えないと書きましたが、出来るだけ近い気持ちでいられたら、どんなに素敵なことでしょう。言葉だけでは足りなくて、人はスキンシップをはかります。ソフトから徐々にハードへ。チョップからパンチへと。


という事で今回は、スティーブン・セガールについて考えてみようと思います。
金曜ロードショーなどでバンダムと並んでヘビーローテーションされていると言っても過言ではない彼の映画「沈黙~」シリーズ。セガール扮する主人公の周りで起きる事件に、セガールが独り立ち向かう勧善懲悪の映画ですが、ここでのセガールはまさに無敵状態。敵がどんな武器を持っていようが、どんなマッチョだろうがセガールに勝つ事が出来ません。映画の中でセガールの存在は絶対無二、そんなスクリーン上の彼を観ていると、世界で不安定な私の心は妙な安堵感を覚えます。
一般的に「沈黙」シリーズはアクション映画としてとらえられていますが、私なんかは「ハートフルミステリー」ぐらいに感じるわけです。
膨張して飽和した世界は収縮を始めます。(メタ)宇宙の縁に地球(世界)が呑み込まれる時、悲鳴や怒号ではなく、穏やかな沈黙を用意しておきたいものです。