F1アメリカグランプリで角田選手がファステストラップを獲得したとのニュースが入ってきました。

 

ファステストラップとは、決勝レースの中で1周を一番速く回ったラップタイムでF1の記録に永遠に残るものです。

 

日本人としては、中嶋悟、小林可夢偉に続く3人目とのことです。

まずはおめでとうございます。

 

ただ、私の世代では日本人、F1、ファステストラップといえばやはり中嶋悟です。

 

1989年のF1最終戦のオーストラリアグランプリ、決勝は大雨でした。

ほとんど最後尾からスタートしたロータスの中嶋がもう少しで表彰台という4位に入ったレースでした。

 

私が見たのは再放送ですが、その中継の中では、実況アナウンサーが中嶋に肩入れし過ぎて解説の今宮純になだめられているシーンもありました。

中嶋がチーバーを抜いたシーンは痺れました。

 

そのレースからしばらく経った頃、当時F1ブームでたくさんのF1雑誌が発行されていましたが、とあるF1雑誌の付録の小冊子の中のコラムでこのレースのことを書いている記事がありました。

 

記憶を思い出してみると次のような内容だったと思います。

 

1989年のチームロータスはワールドチャンピオンも獲ったこともあるネルソン・ピケと中嶋悟の2人のドライバーでした。

しかしこの年はロータスにとって散々なシーズンでした。エンジンが前年までのホンダから非力なジャッドエンジンになり、マシンバランスも悪くピケをもってしてもタイムが出ず、2台揃って予選落ちというのもありました。

 

また、抜き打ち検査でのリアウイング検査で基準より大きいリアウイングをつけていたとして指摘され、なんとチームスタッフがノコギリで切ったというレースもあったといいます。

 

中々結果の出ない中嶋に対して、口の悪いスタッフはこう言ったといいます。

「お前はホンダエンジンと共にロータスにやってきた。今シーズンホンダは去って行ったのに、なぜお前はまだそのシートにいるんだ。」と。

そう言われても中島は黙々と自分の仕事をこなしていました。

 

ロータスとしては何もいいことがなかったこのシーズンも、最後のオーストラリアグランプリを迎えました。

 

中嶋は、このシーズン限りでロータスを離れ、次の年からティレルに移籍することが決まっていました。ロータス最後のレースです。

 

決勝グリッドはピケが18番手、中嶋が23番手と上位進出は難しい状況となっていました。

そして迎えた決勝は大雨。ある選手はレースをボイコットしようと他の選手を誘ったりしていましたが結局レースはスタート。

 

プロストは1周目で自主的にリタイア。

 

レースも大荒れでスピンやクラッシュが続出。セナもピケも他のマシンに追突してリタイア、マンセルもスピンで壁に激突してリタイアしていました。

 

そんな中、光る走りをしていたドライバーがいました。

中嶋悟です。23番手から怒涛の追い上げでいつしか4位まで順位を上げていました。

 

そして中嶋自身で次々に更新するファステストラップ。

 

レース後半では、1位を走っているブーツェンや2位を走っているナニーニより、3位争いをしているパトレーゼと中嶋の様子を国際映像は捉えていました。

 

そんな中嶋の走りを見ていたロータスのスタッフも戦う集団であることを思い出してきて、中嶋に声援を送ります。

「サトル行け!勝ってしまえ!」と。

 

残念ながら結果は表彰台に1歩届かない4位でしたが、中嶋はロータス最後のレースとしてチームに置き土産を置いてロータスを去ることとなりました。

 

このレースの後、ロータスのスタッフは、

「サトルは、本当は何も悪くなかった。いつもチームのために仕事をしてくれていたんだ!」そう言っていたそうです。

 

以上が私の記憶にあるそのコラムの内容だったと思います。

 

たらればの世界はないですが、もし、中嶋の予選の順位がもう少し良くて決勝グリッドが前の方であったなら、このレース中嶋が勝った可能性が高いかと思います。

 

このレースは中嶋にとってF1でのベストレースと言ってもいいでしょう。

 

今、F1では角田選手がフル参戦し、この先も日本人ドライバーの参戦はあるかもしれないですが、私が生きているうちに日本人ドライバーの優勝を見てみたいものです。