1990年10月のとある日曜日、私は大学の学校祭の模擬店を運営していました。

しかし、その日は空前のF1ブームの中にあって、鈴鹿サーキットでのF1日本グランプリの決勝の日でした。

 

夜のゴールデンタイムには録画でテレビ放送がありましたが、実際のレースは昼間。

一刻も早く結果を知りたくて、そわそわしていました。

 

当時は携帯電話もインターネットもなく、リアルタイムで結果を知るのは難しい状況でした。

 

しかし、リアルタイムに近い形で途中経過や結果を知る方法が一つありました。

それは、テレフォンサービスです。

 

何分に1回更新されるのか分かりませんが、ある電話番号に電話すると、何週目1位誰誰、2位誰誰とテープが流れるのです。

 

私は模擬店の運営そっちのけで、10分か15分おきくらいでテレフォンカードを握りしめながら学校にあった公衆電話でその番号かけて途中経過を聞いていました。

 

セナとプロストが1周目でリタイアしたのもマンセルがリタイアしたのも、ピケが優勝したのも、鈴木亜久里が3位に入ったのもあの時の学校でいち早く知っていたのは私だけだったと思います。

 

おかげで安心して夜の放送を見ることができました。

 

このレース、多くのF1ファンは日本人ドライバーとして初めて表彰台に上がった鈴木亜久里のことを記憶しているレースかと思いますが、私は2位に入ったロベルト・モレノという選手が印象に残っているのです。

 

この選手です。

 

優勝したネルソン・ピケと同じブラジルのドライバーですが、かなり苦労人のようで、F1では弱小チームを渡り歩き、たまたま事故で出場できなくなったベネトンのナニーニの代役として出場したこの日本グランプリで2位をゲットしたのです。

 

彼が表彰台に上がったのはこの1回だけで、その後のF1人生も恵まれたものではありませんでしたが、いいマシンとちょっとした運(有力選手のリタイア)を引き寄せることができたのは、弱小チームでも腐らずにやっていたからかと思います。

 

今、私は彼と同じような髪形になってしまいました。

私も仕事にしろプライべートにしろ、物事を辛抱強く取り組んで、彼のように光り輝けるようになりたいと思っています。

 

ん?、頭の話ではないですよ!