皆さんはスポーツ観戦をする時に、テレビではなく実際に競技場に足を運んで観戦してるでしょうか?
私は札幌にいた時には時々野球場にプロ野球を見に行ったことがありましたが、一番多く競技場で生観戦したのは、スキージャンプです。
数多く生観戦したスキージャンプの中で、記憶に残るガッツポーズがあります。
古い話になりますが、リレハンメル冬季オリンピックが行われた1994年、その直前に札幌大倉山シャンツェで行われたスキージャンプのワールドカップを現地で観戦しました。
このシーズンは日本チームの実力が徐々に上がってきていたとはいえ、個人としての実力は三強と言われていたドイツのイエン・バイスクロフ、ノルウェーのエスペン・ブレーデセン、オーストリアのアンドレアス・ゴルトベルガーがワールドカップの優勝に絡むことが多く、彼らを差し置いて優勝するのは難しい状況でした。
しかも、通常強豪選手たちは、ヨーロッパで行われるオリンピックの調整のために、直前に極東の日本で行われるワールドカップは不参加とする選手が多かったのですが、この年は三強全員が札幌大会に参加していました。
オリンピックみたいな戦いになるのかなと思いながら観戦を始めました。
ジャンプは2回飛んだ飛距離点と飛型点の合計点で順位を競いますが、1回目のジャンプの時は、ランディングバーンと言われる着地地点の横の階段状になった場所から観戦しました。この場所は踏切の瞬間は見えませんが、空中を飛んでくる選手を間近に見ることが出来ます。
中々日本選手が距離を伸ばせない中、西方仁也という選手がいいジャンプをして1回目の3位か4位に入りました。
ただ、1回目トップのバイスフロク選手のジャンプは素人から見ても飛行曲線が他の選手と違い、かなり高いところを飛んでいき中々落ちてこなかったので、その実力差に西方選手には、「これは勝てない、せめて表彰台に上ってくれ!」と思っていました。
2回目は、選手が着地後のプレーキングトラック付近で見ることにしました。
2回目の飛ぶ順番は1回目の成績の悪い順に飛んでいきます。
つまり1回目トップの選手の2回目は、一番最後に飛ぶことになります。
K点を超えてくる選手がほとんどいない中、西方選手の番が回ってきました。
西方選手は、K点を大きく超える大ジャンプでした。大きな歓声が上がる競技場。
そして、両手での大きなガッツポーズ。
その時点ではトップでしたが、バイスフロク選手とブレーデセン選手に抜かれ結局3位でしたが、見事表彰台をゲットしました。三強の一角を崩したのです。
いいジャンプをした選手はガッツポーズをする選手もいますが、何故か私の目には西方選手のあのガッツポーズが強く目に焼き付いているのです。
西方選手は、直後のリレハンメルオリンピックに出場し、団体戦の2回目は130mを超える大ジャンプで銀メダル獲得に貢献し、個人戦のラージヒルとノーマルヒルではともに8位入賞でした。このオリンピックスキージャンプ3戦とも入賞した日本選手は西方選手だけです。西方選手はリレハンメルオリンピックで日本選手としては一番活躍したスキージャンプ選手でした。
次の長野オリンピックは代表選手に選ばれなかったので、一般の人は彼の名を忘れられていたかと思います。
しかし彼の名は長野オリンピック終了後、だいぶ経ってから世間の人は再びその名を聞くことになります。
アンビリーバボーで長野オリンピックのテストジャンパーの活躍が紹介され、2年前にはヒノマルソウルという映画でテストジャンパーたちの活躍が描かれました。
西方選手は、長野でテストジャンパーをしていたのです。
長野オリンピックスキージャンプ団体戦で悪天候で中断の中、審判団が2回目の再開を決断させたと言われている西方選手のK点超えのテストジャンプは、観客の歓声はなかったかもしれません。でも私は思うのです。
きっと心の中でリレハンメル直前の札幌ワールドカップの時のようなガッツポーズをしていたのではないのかと。
長野オリンピックでテストジャンプを行う西方選手。この時期西方選手はスタート台から離れた後、一度後方に両腕を大きく伸ばしてから助走姿勢に入るフォームでした。

