前回「運命の選択~その時歴史は動いた~【女子カーリング】①」の続き

 

 

プロジェクトとしては、まず外国人コーチを探さなければなりませんでした。

カーリング強国はいくつかありますが、北海道ともなじみの深い本場カナダから招へいすることとしました。

 

しかし招へいするといってもカナダにつてがあるわけではありません。

コーチは、なんとかエドモントンの州政府を通じてカルガリーのカーリング協会から推薦してもらうこととなりました。

 

しばらくして、コーチの推薦があったのですが、てっきり1人の推薦だと思ったのですが、推薦があったのは3名でした。その3人の中から選べと。ただし、誰を選んでも指導者人生を賭けて遠い日本に行くわけなのでそれなりの待遇はして欲しいとの話でした。

 

3人は年配者が2人、あとの1人は30歳前の青年でした。

スカイプで面接をして誰か一人に決定することとなりました。

選考についての細かいことは言えませんが、結局、経験値のあるベテランより、若い彼の将来性に期待して、プロジェクトチームは、30歳弱の青年を選びました。

 

そのあとに彼に会いにカナダに行ったのですが、第一印象は好青年には見えましたが、どこにでもいるような青年でカーリングの指導力については、全く想像することが出来ませんでした。

 

さて、人選が決定すれば、来日に向けた準備です。スポーツの指導者として就労ビザを取るためには、申請書類にその人の経歴・功績を示す添付書類が必要になります。

今でこそウィキペディアの日本語ページには彼の項目がありますが、当時はそのようなものはなかったので、英語での検索で何とか英語版のウィキペディアのページを発見しそれを添付書類として札幌の入管の審査に通りました。

私は、英語もまともにできないのになんて仕事をさせるんだとその時は思っていました。

 

在留カードが交付されても、カナダで手続きしないとならないので、カルガリーの日本領事館に手続きのことを照会したら、来日まで時間がなかったので早く手続きをするようにということだったので、彼には早く領事館で手続きをするように連絡し、来日までにはなんとか手続きを終えることが出来ました。

 

彼は一人ではなく婚約者と一緒での来日だったので、2人で住むための家の手配や、家具の手配、携帯電話の手続き、住民登録などかなりバタバタしたのを憶えています。

 

そして彼のコーチングが始まりました。

最初はコーチする時間に遅刻してきたりして大丈夫かと思いましたが、彼の指導は徐々に女子のトップカーラーたちに受け入れられ、技術の向上に繋がっていくことになります。

カナダでの合宿も彼がリンクの手配を行ってくれました。

 

協会も彼の指導力を認め始め、ソチオリンピックへ彼を帯同させることになります。

 

プロジェクトの期間は3年で終了しましたが、その後彼はナショナルチームのヘッドコーチとなり、オリンピックのメダルへの道筋を作っていったのは、既に報道されているとおりです。

 

そういえば、彼の名前を言ってませんでしたよね。

彼の名は、ジェームス・ダグラス・リンド、通称JDと呼んでいました。

 

平昌、北京オリンピックと女子カーリングはメダルを獲得しました。メダルの獲得はもちろん選手たちの日ごろの努力の賜物かと思います。

 

しかし、プロジェクトチームが支援する競技を女子カーリングにしたこと、3人のコーチ候補者の中からJDを選んだこと、協会の協力、JDの指導力、選手たちのJDからの指導に対する信頼、選手自身の実力、そのどれが欠けていてもオリンピックのメダル獲得は難しかったかもしれません。メダルを獲れたとしても、もっと時間がかかったかもしれません。

全てが見事にハマった結果のメダルではないのでしょうか?

 

もしプロジェクトチームが支援する競技を女子カーリングにしなかったら、もし3人のコーチ候補者のうち、JDではなく別な人を選んでいたらメダルは獲れていたのだろうか?

そんなこともふと頭をよぎることがありました。

 

今回はJDがまだ注目される前のことを話しましたが、ちょっと脚色を加えればプロジェクトXやアンビリーバボーにも出てきそうな話ですが、裏方の仕事とはいえそんなプロジェクトに携わり、オリンピックのメダル獲得に少しでも貢献できた(と思っているだけですが)のはいい経験だったと思います。

 

前例のない仕事は大変なこともありましたが、カナダに出張に行けたり、飲み会でマリリンこと本橋麻里さんの隣の席になったりと楽しいこともありましたから。

 

ただ、今ではもうスポーツ関係からは離れた一般人で、ただのしがないオッサンライダーなので、携帯にJDのメモリーが残っていても、もう電話することもメールすることもないでしょう。(今でも繋がるか分かりませんが。)

1ファンとしてカーリングを応援するだけです。

 

そういえば、私が今住んでいる町にもカーリング場がありました。

久々に誰かのプレーの様子でも見学してこようかな。