最近、自分の書くブログは「何かを説明する文章」というより、「何かが変化していく記録」ではないかと思うようになった。
それを仮に「発酵ブログ」と呼んでみる。
発酵という言葉を使ったのは、もちろん僕が酒好きと言うこともあるが、完成品ではなく、途中で変化し続けるものだからだ。
同じ材料でも、時間や混ざり方によって、まったく別のものになる。
原料について
発酵ブログの原料は、特別ではない。
日常の出来事、ニュース、仕事の断片、身体の感覚、人との会話、そして言葉にならない違和感。
むしろ重要なのは「大きな出来事」ではなく、「小さな引っかかり」だと思う。
なぜか気になること。
うまく説明できない感覚。
そのままでは意味にならない断片。
それらが、原料になる。
混ぜるということ
これらの原料は、すぐに結論に変換されるわけではない。
少し時間を置き、別の出来事と並べたり、忘れた頃に思い出したりする。
すると、最初は関係のなかったもの同士が、ゆっくりと反応を始める。
たとえば、仕事で感じた違和感と、図書館での出来事が、同じ構造として見えてくる。
こうした「意味の誕生」を待つことが、発酵のプロセスなのかもしれない。
搾るという行為
ある程度時間が経つと、そこから何かを取り出したくなる。
それは「結論」を作るというよりも、すでに起きている変化をすくい取る作業に近い。
はっきりした意味もあれば、曖昧なまま残るものもある。
むしろ後者の方が重要なこともある。
言葉にならない澱(おり)が、静かに発酵し続けるからだ。
エイジングという時間
搾った時点ではまだ意味は確定していない。それが時間の中で再発酵し続ける。書いた直後よりも、少しあとに読み返すと、同じ文章が違って見えることがある。
まだ途中であること
この「発酵ブログ」という考え方自体も、まだ途中にある。うまくいくのか分からないし、そもそも完成形があるのかも分からない。
確かなのは、書くという行為が「変化の一部」になりつつある、という感覚だけ…。
僕の心の中のタンクで、発酵が続いている。
Photo courtesy of Wine Enthusiast