今朝の夢は、蔵元で新商品のピーチ焼酎の試飲をしている。


僕の同僚が、焼酎漬けのピーチをかじって、「渋みがある」とダメ出しをすると、蔵元のマネジャーが懸命に説明する。僕は「この味で悪くないんじゃないか?」と思っている。


昨晩、寝る前に、3年前のブログを読み返していたのが影響したのかもしれない。


ブログを書いて、数年後に読み返し、後で気づくことがある。そして、それをまた、次のブログに書く。これを繰り返していると、自分の人生が変化していくプロセスを感じることができる。これを「自分学」と呼べるのではないか。


朝、バスでノースハリウッドまで行き、仏教グループのミーティングに参加した。ハル、ナンシー、ソーニャ。知り合ってから30年以上になる友人も何人かいる。


シニアセンターに来ると、ホゼが「メキシコの石油を日本に送るから使ってくれ」と大統領のようなことを言う。僕も、首相に代わって「ありがとう」と感謝の意を表しておいた。


トイレで、ニカラグア出身のイヴァンに会うと「アメリカはいつまでイランと戦うつもりなのか? 狂っている」と厳しい口調で言う。


しかし、シニアの中には、トランプ大統領を支持する人もいて、センターの中でさえ、分断されている。


昨日、図書館で見つけた「How to love the universe (宇宙を愛する方法) by Stefan Klein」。ドイツの物理学者が書いた本で、日本語にも訳されているようだ。


その中で、「時間」についての説明が興味深い。


著者によると、「時間の流れに逆らう最高の道具は、時計ではなく、あなたの脳と想像力である」という。例を挙げると、人間は1秒間に昨日のことを思い出し(過去)、明日の予定を考え(未来)、目の前のコーヒーを味わう(現在)と言うように、時空の間を行き来している。


確かに、僕自身の心を観察すると、過去に行ったり、未来に行ったりして、現在にいることの方が少ない位だ。


ところで、最近の脳科学の研究によると、過去を思い出すのに使っている脳の機能と、未来を予測するのに使っている脳の機能は、全く同じらしい。つまり、人間は、未来の危険などを察知するために過去のデータを記憶していると言うわけだ。


しかも、脳には、そもそも「時間」というコンセプトがなく、過去の記憶も、未来の予測も、頭の中では同列に並んでいる。古い記憶と感じるのは、左脳が記憶を物語化するためだという。


僕の場合、例えばドーナツを見ても、アメリカに来た当時よく食べたバターミルクバー、テキサス駐在中に食べたコラーチ、出張中に空港の売店で買ったボストンクリームなど、いろいろな時と場所に空想が飛んで行く。


そうしてみると、「時間」というものが絶対的ではないことがわかってくる。むしろ、人生を生きるため、世界を理解するためのツールなのかもしれない。


それどころか、もしかしたら脳には、夢と現実の区別もついていないのかもしれない。